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#39 あんた呼ばわり

その翌日、いきなり母の機嫌が直った。それどころか『一人暮らしオッケー』とまで言い出したのだ。

「お母さん、色々考えたのよ」

とようやく自分をお母さんと言えるようになった母が意見を述べる。

「卯月ってわがままで甘ったれで世間知らずでしょう?少しは世の中の厳しさを知ったほうがいいんじゃないかしらと考え直したの。困ったことが起きても今までのようにお母さんがすぐ助けてあげられないという状態がどれだけ辛いのか。それを体験すれば、お母さんのありがたみが分かるはずだし」

呆気にとられて聞いていた。母はこれまで私を助けてあげてきたと思っていたのだ。とことん自分が見えていない人。

後日、章子から忠告を受ける。

「卯月はお母さんに騙されてる。うちのお母さんに『卯月は強情だから賛成したフリをしているだけ。そうでもしないと受験に本腰いれないもの。合格したらこっちのものよ。一人暮らしはやっぱりダメだと言えばそれまでですもの。今は応援しているように見せかけろってパパに言われたからお芝居してるのよ。あの子単純だからコロッとひっかかって勉強頑張ってるわ』って言ってたらしいよ」

父の言う『ひと芝居』とはこれのことだったのか。一杯食わされてるのは自分だとも知らずに。単純なのは私じゃないでしょ。

何はさておき、今は受験勉強だ。ところが志望校の選定に悩む。なかなか絞りきれない私に業を煮やした母がとんでもない提案を持ちかけてきた。裏口入学である。

「卯月の希望する学科がないのがネックだけど、この大学ならお世話して下さる方がいるわよ。決めてしまえば?」

開いた口が塞がらない。女子大に通う娘の母というステイタスの為にこんなこと言いだすなんて。思わず

「あんたどうかしてるんじゃないの?バカにするのもいい加減にしてよ!」

と声を荒げた。すると血相を変え

「あんた?今お母さんに向かってあんたって言ったわよね。なんなのその言葉遣い。謝りなさいよ!私は親よ。これまであなたを懸命に育ててきた母親ですよ!」

え、そっち?

私が母をあんたと呼んだのはこの時が初めてだが、このあと2回そう呼ぶ出来事が起こる。まだまだ先のことだけれど。

頭にきた私は志望校から四年制大学を全て外し、短大に照準を合わせた。受験日の一週間前、もっとも家庭内がピリピリしている時になんと母は不注意で転び肋骨骨折。家事一切が私に回ってくるというおまけ付き。

第一希望に合格した私に、父が声をかけた

「卯月は頑張ったから、一人暮らししていいぞ」

父に逆らえない母は従うしかなかった。

ただひたすらに彼女から離れることを生きる望みにしてきた私。これで私の人生は本当のスタートになるんだ。「卯月は二番」と言われたあの日、幼児の私は願った「本当のお母さんじゃありませんように」と。家庭でも学校でも苦しい日々を送った末にやっと見つけた自分の居場所。周囲の人に恵まれたことで気持ちのバランスを保ってこられたのだと思う。これからは何もかも楽しいに決まっている。だってこの世で一番嫌いな人と離れて生きてゆけるんだから。


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