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#36 中学卒業

強者の母でさえ受験生を2週間の帰省に付き合わせるのは暴挙だと分かるらしく、今年は帰省しないと言い出した。生まれて初めて母が自分の欲求より私の立場を優先させたと嬉しく思ったのだが、すぐにこう付け加えた。「春休みに帰るからいいわ」

一体いつまで里帰りするつもりなんだろう。伯父が生きている限り続くのか。そんなにべったりしている兄妹って世間にいるのだろうか。私にはただ気持ち悪い関係にしか見えない。更に母は続けて

「春休みならもう卯月の進路も決まっていることだし、ここまで育ててくれたお兄さんにお礼を伝えるいいタイミングだと思うしね」

ねぇ、待って。育ててくれたのは伯父じゃなくて父なんだけど。

母は本当に不思議な感性の持ち主だ。幼い私ならきっとムキになって反論しただろう。でももう感情に任せて喚き散らしたりはしない。そんなのは無駄な労力と分かっているし、効果的なダメージの与え方を習得しているから。

「いいよ、春休みね。でもさ、お礼をするなら家族揃ってないとダメじゃない?お父さんも一緒に行こう」

帰省出来ると浮かれていた母を一撃必殺。父も来るなら週末2泊がいいところだ。母は父に逆らえない。私はこれ以上こんな母親に振り回されたくない。

たった2泊の帰省。広い実家の一部屋一部屋を見てまわった。ひとり寝かされて怖かった仏間、喘息発作がみんなに迷惑をかけると追いやられた2階の一番奥の部屋。そして心の中で呟く「さようなら。二度と来ません」と。

ずっと決めていた。義務教育が済んだら例え何を言われようともう母の帰省には付き合わないって。

私は母の望み通り私立の女子高に合格した。やたらめったら規則が厳しいことで有名な高校だったので母はご満悦だ。

そして思い出の沢山詰まった中学を卒業した。私の存在を認めてくれた恩師との出会いがなければ、自分を変えるきっかけも掴めないまま欝々とした人生を継続していたに違いない。千春からかけてもらった言葉と先生との出会いによって私は救われ、生まれ変わったのだと今でも心から感謝している。


私は母から育てられたという認識を全く持っていません。何も出来ない母を私が育ててきたんだくらいにしか。学ぶことは何もなかった。責任を取ることが怖いのか、自信の無さの表れなのかは分からないけれどなんてことのない子供の疑問に一つとして答えてくれたことがなかった。「そんなことは自分で調べなさいよ」「ママは分からない。パパに聞いたらいいじゃない」そのうちこの人に何を聞いても無駄だと諦めるようになりました。経験に基づいた知識を教えてくれることが無かった。中一でいじめに遭ったこと。それを救ってくれた友達の言葉。そこで私は初めて気づいたのです。人は人によって磨かれるんだなと。本来なら親子の関係で得てゆくのが正解だろうけど、それが望めないなら他人から学びとっていくものなんだなって。転勤などもあって長らく音信不通となりましたが、この時出会った恩師とは今でも連絡を取り合っています。


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