
#42 就職せず
この当時はまだ「アダルトチルドレン」という言葉が一般的には浸透していなかった。子供は親を慕って敬って当たり前の時代。ましてや実母を嫌うなどとんでもないといった風潮さえあった。だから当然「母が嫌い」なんだとは誰にも言えなかったし、自分自身ですらその感情に振り回されることが多かった。
私以外の全員は母親が好きでたまらないのだろうかと疑問に感じつつも、いやそうでなくてはいけないのだと自分の感情を打ち消そうとする。母親と離れて暮らすようになってから初めに現れたのはこの葛藤だった。
「由紀子ちゃんは優しくて思いやりのある子だから、休日は家事一切をしてくれるんですって」「亮子ちゃんはお母さんの誕生日に高いスカーフをプレゼントしたんですって」いつまでたっても他人を引き合いにし「それに比べて卯月ときたら」と続く母の発言。比べられたくないという一心で週末に実家へ帰ると食事の支度をしてみたり、バイト代を母のプレゼントに使ってみたり。時折芽生える罪悪感のせいで突如として母の要求を聞き入れ、また嫌悪するという悪循環を繰り返していた。何をどうすれば母は私を認めてくれるのか。
短大生活は瞬く間に終了した。就職活動はしたが「そんな地味な仕事はみっともない」「接客業なんて卯月につとまる訳がない」「それは卯月に向いていない」と片っ端から否定。嫌気がさした私は就職しないという暴挙に出た。母にとってもっとも体裁の悪いフリーターを選択したことは最大の抵抗でもあった。世間体がとにかく大事な母は「花嫁修業をさせるためにあえて就職はさせなかったのよ」と取り繕っていた。
一人暮らしは短大生活限定だと言われたものの、なんだかんだと理由をつけて引き延ばしていった。週末は実家に戻るという約束も適当な理由を作ってはその回数を減らしていく。勿論母は激怒したが、親よりも友達が大切な時期なんだと父がかばってくれたことでなんとか収まっていた。
その後、バイト先から声をかけてもらいアルバイトから正社員へ。友人たちから少し遅れて私も社会人になった。この頃になるともう母も諦めがついたらしく戻ってこいとは言わなくなっていたし、これ幸いとばかりに実家への足は遠のいた。
職場での雑談で母の年齢を尋ねられ「分かりません」と答えた私に上司が呆れる。例のハタチ事件(#16)からもう15年位過ぎていたが、一度も母は実年齢を明かしてくれなかったため、知らないまま私は大人になってしまったのだ。
顔を合わせる機会がぐんと減った母娘関係。このまま安泰でいられたらいいのだがそんなことはありえない。そしてこの直後私にとって最大のトラウマとなる事件が起こる。