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#33 人生を変えてくれた恩師

この頃は校内暴力が世間を賑わせていた時代。悪いヤツはとことん悪かった。ところが2年生のクラス替えで一緒になった生徒は男女ともにマイペースな子が多くいい雰囲気。担任はやる気に満ちた若い先生だった。そして現在に至るまで付き合いが続いている友人も出来、生まれて初めて平穏で楽しい学校生活を送るようになる。必要以上に自分を蔑まず、安易にごめんなさいを口にしないよう気をつけながら。何よりこの担任の先生との出会いが私の人生のターニングポイントになったのだ。

ある日、担任から職員室へ呼び出された。どんな怒られることをしてしまったのかとおどおどしながら入ると

「卯月が編集長だって聞いたぞ、面白いなこれ。先生も会員にしてくれないか?」

その手には私が作った小冊子が握られていた。本の好きな私が始めた読書サークルで会員はごくわずか。月に一、二度会報を発行し、感想文や本の紹介、料理レシピなどを載せていた拙いお遊びだ。放課後、教室でそれを読んでいた生徒から借りたのだという。

先生は住人全員顔見知りといった感の小さな離島からこの学校に転任してきた。新たな環境に慣れるのに本人が精一杯だったはずなのに、毎号丁寧な感想を述べてくれ、決まり文句のように『卯月はすごいなぁ』と私を盛り上げてくれたのだ。

ノセられてすっかりいい気分になった私は、もっといいものに仕上げようと試行錯誤した。それが少しずつ評判となっていつしか会員は30名を超え、違う学年の子や去年まで私をいじめていた彼女たちまでが会報を楽しみに待ってくれるようになった。

顔を上げて歩くだけで目に映る景色はまるで違う。いつだって自信がなくて下を向いてきた私。ダメ人間だと思ってきた自分に褒められるべき長所があったという驚き。ここに居るんだよ、誰か助けてともがき続けて生きていた私に先生が手を差し伸べてくれたのだ。

この自己肯定感の低さが何処からきているものなのか、今となったら容易に答えが出せる。母はただの一度も私を褒めることのない人だったからだ。何をしても『卯月よりレベルが上の人なんて世の中にごまんといるわよ』と言われておしまい。

褒める以前に私を話題にすることを嫌がっていた。『身内の話なんてみっともないからしないわ』とは幼少期からよく投げかけられた言葉。次第に私の存在がみっともないのだなと認識するようになり、加えて「何も出来ない子」だと言われ続ければ、自らダメ人間だと認定するのは容易だ。親が育てた通りに子供は育つ。

その反面大好きな兄のことは褒めちぎり、あちこちに吹聴する。幼児期、そんな風に私の話もしてほしいと言ったら「あら、お兄さんと私は血の繋がった家族ですもの、当然じゃないの」いや、私もあなたとは血が繋がっているのだが家族の認識じゃないのか。

そんな私を気にかけてくれる人が存在する。それだけで飛び上がりたくなるほど嬉しかった。媚びたり迎合したりする必要なんてない、私は私のままでいればいいんだ。自分に自信を持つことの意味をようやく理解した。『堂々としてな』そうアドバイスしてくれた千春の言葉を実践出来るようになれたから。

14歳。やっと芽生えた自我。それが母との関係を更に悪化させる要因になっていくのだけれど。

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