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#20 知恵
転校生事件の2か月後、母にとって『この世で一番大好きな』母親が死んだ。電話でその報せを受け、泣き崩れる姿が妙に芝居がかっていて嫌だった。私の目を意識しているかのようで。存在を消そうと静かにしていたものの、私のところへやってきた。そして仰天発言である。
「おばあちゃんが死んだのよ。悲しいでしょ。さぁママと一緒に泣きなさい」
え、命令?この人は一体何を口走っているんだろう。一緒に泣けって何、気持ち悪い。母には娘が別の人格を持った「個」の存在であるという認識がない。思わず
「泣きたくないから泣かない」
と正直に答えて引っ叩かれた。
私は8歳だけど、辛い思いならきっと母より経験値を積んでいるとさえ感じる。だから今更確かめないよ『これで私を一番好きになってくれるの?』なんて。答えは分かってる、改めてもう一度傷つく必要はない。
一人暮らしって何歳からしていいものなのかなぁ。15歳?18歳?いずれにしてもまだ気が遠くなるほど先であることに違いない。私が私を守るためにすることはなんだろう。母と一緒に暮らすには知恵が必要。私が少しでも傷つかずに済むための知恵が。
ひとしきり泣いた母はけろっとして普段通りの生活に戻った。その切り替えの早さがすごい。翌日3人で実家へ向かったが、到着寸前まで普通にしていて着いた瞬間に号泣。何処にスイッチがついてるの?と思うほどだ。
母の言動にはマニュアル本が存在するのではないかと思うことがよくある。「こんな出来事に遭遇したらこの感情を示し、こういう言葉を発する」みたいな。祖母の死を知らされて泣き崩れた時に感じた私の違和感は、感情で泣いているというより死んだから泣かなくてはというマニュアルで行動を決定しているように見えたからだ。
分かった!
ある考えが閃いた。嗚咽しながら祭壇で手を合わせる私を見て、母は泣くどころか満足げにほほ笑んだ。
「やっと状況を理解したのね。子供だから仕方ないわ、死ぬってことがどういうことなのか分からなかったんでしょう。そうよ、卯月をあんなに可愛がってくれたおばあちゃんはもういないの。二度と会えないのよ。悲しいでしょ?さぁママと一緒に泣きなさい」
両手で顔を覆い隠して母ににじり寄る。悲しくはない。年に二度しか会わない祖母だ、沢山の思い出がある訳でもない。でもここで理解したのだ。母は私の意思など必要ではないのだから、望み通りの子供を演じればいいのだと。悲しくなくても泣ける自分に感心しつつ、私はこれで自分を守る術を身に着けたんだ、もう引っ叩かれることがないんだと嬉しく思っていた。