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#10 習い事3
その日からすっかりヘソを曲げた私に手を焼いた母。幼児にはもったいないほど豪華な40色の色鉛筆セットと大量の塗り絵の本を突然購入した。母はいつでも困ったらお金で解決をはかる人。
単純な私はあれだけの怒りもころっと忘れて塗り絵に飛びついた。その姿を見た母は短絡的に思いついたのだろう。
「卯月は今度の月曜日から新しい習い事を始めます」
え、月曜日?!バレエだ、やっと私の気持ちを分かってくれたんだと期待した。ところが連れていかれたのは遊戯室の対面で行われている絵画教室。バレエのレッスンを視界に入れながら別のことをするなんて、あまりにも残酷すぎる。どうして私の気持ちを考えてくれないの。
私は絵を描くのが大っ嫌いな子供だったし、それは母も知っていた。だから描かれた絵に色をつけるという作業が楽しくてたまらなかったのだ。まるで自分が上手に絵を描いたように錯覚出来たからかも知れない。
どんなに嫌だ行きたくないと主張しても母には届かず、無理やり押しつけるそのやり方。何故私の気持ちはいつも置き去りにされてしまうのか。
ふくれっ面で教室を出た。お家に帰ったらまた塗り絵をしよう。それを楽しみに帰宅した私にさらなる仕打ちが待っていた。
何十冊と積みあがっていた塗り絵の本が一冊残らず捨てられていたからだ。そこにはスケッチブックが山のように置かれていた。
「塗り絵なんて赤ちゃんの遊びよ。描かれた絵に色を塗るなんて想像力が身につかないからよくないって知り合いに言われたの。それより絵を描かせなさいって。こんなに高価な色鉛筆を買ってあげたのよ、自分で描いた絵に色をつけなさいよ、塗り絵とおんなじことじゃない」
大声を出すなと言われてきた私が人生初の大爆発。嫌いなお稽古事は強制され、好きなものは無断で取り上げられる。わめき散らす私に
「卯月!何度同じこと言わせたら気が済むの?ママはぎゃんぎゃん吠える声が大っ嫌いだって言ってるでしょう。頭がヘンになりそうだから黙りなさいよ」
この人、どこかおかしいよ。重要なのは本人の意思でしょう?どうして私に確かめないの?それに傷つくから『吠える』って言わないで。あんたは人間以下って言われてるみたいだから。
私がこれから生きていく間に沢山の手が差し伸べられるだろうけど、その中に母の手はないんだろう。それは将来私の足を引っ張る時まで大切にしまっているんじゃないかとさえ思う。
いつだって人に流されているだけ。周りがお稽古事を始めれば慌てて同調し、別の誰かに反論されたらすぐ考えを翻す。自分の意見も私の意思も必要じゃない。その安直な言動に私がどれほど振り回されて傷ついているか、母は理解してくれない。