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1年に1度くらいは、過去に想いを馳せる時間を

今日は8月6日。日本人として、忘れてはいけない1日だと思う。

朝からこの記事を読んだ。

1945年8月6日。世界で初めて、原子爆弾が投下された日。
毎年この時期になると、色んな感情が自分の中をうずまく。

わたしの生まれ故郷は、長崎。だから、8月6日よりも、8月9日の方がなんだか心にきてしまうのだけれど、それは個人の問題なので置いておく。

幸いにして、わたしの周りで原爆の被害にあった人はいない。長崎に住んでいたおばあちゃんもおじいちゃんも、その日は「遠くの方で飛行機と飛行機がぶつかったのは見た」と言っていただけで、爆心地から遠くの地域に住んでいたこともあって特に何かがあったわけではなかった。

だけど、幼い頃から夏に毎年長崎に帰省しては、原爆記念公園と原爆資料館に訪れていたわたしにとって、やっぱりこれは他人事ではないなぁという意識があった。

自分も周りも経験していない。だけど、資料を読むだけで、写真を見るだけで、体験された方の話を聞くだけで、決して二度と繰り返してはいけない出来事だったことが分かる。

もし自分がその時その場にいたら。恐ろしくて考えたくはないけれど、やっぱりどこかで考えてしまう。



世間では、8月6日のことを「原爆記念日」と言うらしい。わたしはこの表現にずっとどこか引っかかっている。何が「記念」なんだろう。

わたしにとって「記念」って、何かお祝いするような意味がどうしてもあるような気がしてしまう。おめでたいことに対して使われるポジティブな言葉のイメージ。

だからこの日は「原爆記念日」なんかじゃなくて「原爆祈念日」と記した方が良いんじゃないだろうか。そこまでこだわらなくても良いなとは思うのだけれど、なんとなくそんなことがずっと心のどこかに引っかかっていた。

でも、調べてみたところ「記念(きねん)とは、あとの思い出として何かを残しておくもの、あるいはそれによって残されたものである」って書かれてあったから、まぁ間違ってはないのか、と思ったりもして。日本語って難しい。



8月6日も、8月9日も、どちらも忘れてはいけない日だ。だけど、この日のことを忘れそうになったことが、恥ずかしながらわたしには何度かある。

それは、社会人になって東京に住んでいた4年間。

毎日が目まぐるしく、とにかく目の前のことにいっぱいいっぱいだった。知らない間に8月6日も8月9日も8月15日も過ぎ去っていた。わたしの周りも「そんなことを考えるよりもとにかく今目の前の業務を!」みたいな感じだったような気がしている。大都会東京は、なんだかとても忙しい街だった。ものすごいスピードで情報も流行も何もかもが目の前を通り過ぎる。それについていこうとするのでいっぱいいっぱいで、目の前のこと以外のものにまで目を向ける余裕なんて全くなかった。

東京を離れて1年以上が経った。もうあんなにあくせくすることはない今になって、たくさんの時間的余裕も、心の余裕も生まれたような気がする。



24時間365日、常に同じことについて考えろとは思わない。だけど、1年に1度くらいは、過去のことに想いを馳せる時間を作ることは大切だと思っている。

それが、間違いなく今日なのだと思う。


平和な現代に生まれたことに感謝しつつ(今は感染症という大変な状況ではあるけれど)、過去と同じことを繰り返すことのないように、過去を知り、そして今のわたしたちがどんな未来をつくっていくべきか、考える時間を取る。それがわたしたちにできることなのだと思う。



そんなわけで、今日もおつかれさまでした。



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