力になれるわたしでありたい
自分の人生を振り返った時、一番辛かったのは、自分の気持ちを誰に打ち明けたらいいのか分からない時期だった気がする。
悩み事とは言えないほどの些細な出来事だったり、ちょっとした考えだったり、そういうのを伝える相手や、聞いてくれる相手がいなかったとき。
別にわたしの周りに友だちがいなかったわけでは決してなく、むしろ友だちは多い方だとは思うのだけれど。それでも、聞いてくれる相手というか、わたしが話せる相手がいなかったことが、なんだかすごく辛かった。
そんなことをわたしの周りに話すと、「なんだよ水臭いなあ」と笑い飛ばしながら聞いてくれる人なんて、何人もいるってことくらいわかってるんだけどね。
それでも、みんなにはみんなの人生があって、それぞれのやりたいことがあって。だからわたしのつまらない話なんかを聞いてもらうのは、すごく申し訳ないというか。それに近しい人じゃないとわたしの今の状況を一から説明するのもなんだかちょっと億劫だし……みたいに思っていた。
もっと甘えてみたらよかったものの、誰に甘えればいいのか分からなかったのは、わたしが長女だからというのも関係しているのかもしれない。
なんだか、そうやって思った経験があるからこそ、わたしは話しかけやすい存在でありたいなって思うし、誰かにとっての「わかってくれる人」「理解してくれる人」でありたいなって思ってる。
別に、本当に話を聞いたり相談に乗ったりしなくてもいい。しんどくなったときに、いつでも話を聞いてくれる存在がいるってだけでどれだけ心が救われるのかをわたしは知っている。
わたしの強みは、どんな人の話にも気持ちを傾けて聞くことのできる傾聴力。そして自分のことのように一緒に喜び、悲しみ、考えられる共感力。必要あれば解決策を一緒に探してあげる課題解決力。
最近、わたしの周りで例えば恋愛だったり、人間関係だったり、体調の問題だったり、様々な悩みを抱えている人の話を聞くことがよくあって。
そんな機会があるたびに「わたしに何ができるんだろう」「何か力になれることはあるだろうか」なんてうんうん考えていて。
結局、行動するのも、選択するのも、わたしではなく本人たち次第だから、何もできないのじゃないか。わたしは話を聞くことしかできないんじゃないかって。
でも、「話を聞いてくれる相手がいる」ってことは、実はすごく大きなことだったりするんだよね。わたしが過去にそう思っていたように。
自分にできることはちっぽけかもしれないけれど、わたしはしんどくなる人の気持ちがわかる。辛くなる時の気持ちがわかる。その話を一緒になって聞いてあげることはできる。
幼い頃からずっと思っていた「誰かのために、役に立てる自分でありたい」という想いは、どうやら今も変わってないらしい。
1人でも多くの人が、自分らしく、自分で納得のいく人生を送られるように。幸せな人生を送ることができるように。
「誰もが笑顔でいられる世の中をつくる」ために、わたしにできることをひとつずつひとつずつ、積み重ねていきたいなって思う。
今日もおつかれさまでした。
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