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可処分時間を勉強に絞ったことにより生まれた想定外の弊害の話
インプットをしていないと、アウトプットが出来ない。当たり前のことではあるけれど、それを今とても実感している。
今日は、白紙のエディタを前にして「何を書こうかな…」と、手が止まってしまった。わたしにしてはとても珍しい。普段なら、何も決まっていなくたってとりあえず書き始めるのに、今日は何も書き出せなかった。
なんとなく、他の人のnoteをいくつか読んで、株価をチェックして、メールの返信をして、スケジュールアプリに予定を登録して、また他の人のnoteを読んで、と、PCを開いた時にする「noteを書く」という行為以外のことを、一通りやってみたりした。そしてまた白紙のエディタに戻ってきた。
そこで気づいた。
そうか、インプットが足りていなかったのか、と。
無から有は生まれないように、何もないところからアウトプットは生み出せない。普段のわたしは、テレビなりSNSなり本なり映画なり体験なり、何かしらのインプットを常にしながら生きている。だから、アウトプットすることは、考えなくても無限に出てくる。
でも、今は今週末に控えるFPの試験のために、インプットを勉強に絞っている。だから、noteに出せるようなアウトプットがないのだ。問題集を解いたり、一問一答アプリをひたすらやるという、今までとはちょっと角度のちがったアウトプットをしているから、「noteどうしようかな…」という、これまであまり感じたことのなかった感情が生まれてしまった。勉強1本に絞るとこんな弊害が生じるなんて思ってもなかった。
と、言いつつも、本当に勉強1本に絞っているほど勉強時間が取れているわけでもなく。娘ちゃんの育児とお家のことがもちろん最優先なので、その時間の合間に生まれた限りなく少ない可処分時間を勉強に使っているという感じ。だから、最近はずっと、家事、育児、勉強、家事、育児、勉強、家事、育児、勉強、って感じ。そして夜になるとこうしてnoteを書く。
そんな毎日だけれど、こんな日々は今週までなので、今はひとまずあと5日後に控える試験まで、全力で走り抜けるのみ。がんばるぞ。
そんなわけで、今日もおつかれさまでした。
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