自分がやると決めたことを
継続することに対して、アレルギー反応のようなものがあった。
行動を起こしてみても、続かない。
そもそも、昔から日記を継続するというのが大嫌い。っていうか無理。継続というか、コツコツ積み上げるとか、計画的に物事をこなすみたいなことが全然できなかった。
「作文が得意じゃないねんから、毎日日記を書きなさい」
そうやって親に渡された日記帳が、続いた試しなんて一度もなかった。
最所の数日だけなんとかかんとか書いて、気が付けばもう後のページは白紙。
そうなった日記帳が、何冊もあった。
小学校の時、夏休みの宿題でよく出されていた1行日記。たった1行を毎日続けるだけのはずなのに、それが出来なかった。2週間分をまとめて書いて、溜めてはまとめて書いてを繰り返した。日付と、その日のお天気と、1行の日記を書くだけだったのに、それすらできなかった。新聞の週間天気予報の欄を遡って、とりあえず天気だけは記録したんだったっけ。
あと、小学校低学年の時に宿題で良く出たはみがきカレンダー。夏休みの毎日、歯をきちんと磨いた日に色を塗るという、簡単な塗り絵みたいなやつ。夏休み初日には、そのはみがきカレンダーの色塗りを、まずは全部終わらせるということがマイルールだった。だって、毎日塗るなんて絶対面倒くさくてできないから。歯磨きなんて、絶対毎日するに決まっているから。
コツコツ毎日何かをするのが苦痛で、苦手で、歯磨きカレンダー以外の夏休みの宿題は、たいてい最終日に夜中まで机にかじりついて半泣きになりながらこなしていた。なんなら、夏休みの宿題は夏休み中には終わらないタイプだった。
夏休み明けの初日に提出じゃない宿題って、まだ猶予あるじゃん、ギリギリにやろう、みたいなタイプ。
そんなわたしがこうしてまいにちコツコツとnoteの更新を出来ていることが、自分でも信じがたい。
「継続する」「何かをコツコツ」実行するということに対して、人生で初めての成功体験なんじゃないかとすら思っていた。
でも、よくよく考えてみたら、わたしは本当に「継続」が出来なかったわけではなかったのかもしれないと思う。
先に書いた、夏休みの宿題だったり、そういうのに関しては本当に続かなかった。でも、今までの人生を振り返ってみたときに、全てが続かなかったかと言えば、そうではない。
小学校低学年の時から習い始めたピアノは社会人になった今でも続いているし、中学から部活で始めたテニスに関しても、途中で辞めることなく中高の6年間やり切った。
大学生の時のアルバイトも、2つをかけもちしつつも、どちらも辞めることなく卒業するまで4年間働き続けた。
続けることが苦手だと思っていたのは、自分の嫌な部分にばかり目を向けていたから。でも実は、そんなに気にすることがないのでは。
今までの人生を振り返っても、途中で投げ出さずに続いたものって、例外なく「自分がやると決めたこと」だったりする。
誰かに「やりなさい」と渡されたものではなく、自分から選んだもの。
自分が選ぶものには、きちんと動機や目的がある。なぜやりたいのか、なんのためにやりたいのか。
社会人になって、誰かから「やりなさい」と言われることはほとんどなくなった。
それは、自由になったことと同時に、自分の人生を自分で舵取りしなきゃいけなくなったということ。親や先生が導いてくれるのではなく、自分が進むべき道を決めて、自分で足を踏み出さなければいけないということ。
今のわたしは、出来ない自分ではない。
ちゃんと、自分が進みたい道を自分で選んで、自分がすると決めたことを着実にこなしている。
わたしは「継続すること」に対してアレルギー反応があったんじゃない。
「自分で決められないこと」に対して、腑に落ちていないだけだった。
自分で決めたことを、ちゃんとやる。それが出来るわたしだから、自分の信じる道を進めばいい。これだと思うことを、やってみればいい。
くよくよせずに、胸を張って、進もうと思う。
今日もおつかれさまでした。
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