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なぜだかいつも「本当はやりたくない方」を選んでしまう、わたしの生き方

「自分の人生が伝記になるとしたら、どんなタイトルをつける?」

そんな質問をしてきたのは、父だった。わたしの父は採用試験の面接官を担当している。その面接の中で、最後の質問としてこれを投げかけてみたらしい。この質問に対する回答に正解はない。面接官の父の意図としては、想定外の質問をしたときにどんな反応をするのか、想定外の場でもそれなりに話すことが出来るのか、みたいなところを見ているらしい。

別にわたしはこのnoteで面接における、回答のポイントの話をしたいわけではない。父にこの質問を投げかけられた時、まず考えたのが「わたしならなんて答えるだろう?」だった。

そして、咄嗟にわたしの頭に浮かんだのは『挑戦し続ける女』だった。

人生の分岐点は、きっと誰にだってあるだろう。人生は選択の積み重ね。その分岐点で選び続けてきた道の先にいるのが、今の自分になるのだと思っている。今までの人生を振り返ってみた時、わたしにも決断を迫られる場面が数多くあった。そんな決断の場面で、わたしが選んできた道は、なぜだかいつも「本当はやりたくない方」だった。

安パイな方を選べば、きっとそれなりになんとかなる。だけど、安心で安全で確実な道を選ぶことに対して、わたしは納得が出来ない性分だった。自分が持っている力の100%でギリギリ出来るかどうか、いや120%の力がないと出来ないかもしれない、みたいなラインに挑まなければならないという謎の使命感を昔から持っていた。

だからか、やったことのないことに挑んでみるハードルは、多分他の人に比べたら格段に低い。「出来るかどうかわかんないけど、まぁやってみよう」みたいな気持ちで、とりあえず何に対しても手をつけることが出来るようになった。挑戦のハードルが下がった。

きっと、安パイな方を選ぶわたしだったら「noteを毎日更新してみよう!」「どうせやるなら1000日連続更新を目標にしよう!」とかいう狂った挑戦なんてしなかっただろう。「第一志望の大学に受からなかったから浪人しよう!」にもならなかっただろうし「去年落ちたキャンペーンガールのオーディションもう一回受けよう!」にもならなかったと思う(ちなみに浪人しても第一志望の大学には合格できなかったけれど、キャンペーンガールにはなった)。

でも、とにかくなんでもやってみたわたしがいるからこそ、今のわたしがいるんだと思っている。色んなことを頑張りすぎて、無理しすぎて会社を休職したこともあったり、周りが見えなくなって突っ走ったこともあった。たくさんの失敗をしてきたけれど、わたしの中でそれは失敗ではなくて、どれも人生における必要な経験だった。

だから、わたしの人生の伝記にタイトルをつけるのならば、『挑戦し続ける女』。「挑戦する」ではない。「挑戦し続ける」。

わたしの人生は、まだまだこれから。きっと、何年経っても、おばあちゃんになっても、わたしは挑み続けるのだろう。



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