どうすれば一発屋で終わらないのか、みたいな
気合を入れて書いた次の日とか、「いつも読んでます!」とかって言われた次の日とかに、どうしても書けなくなってしまう現象になんて名前をつけたらいいのだろう。
今日も、そういう日。
昨日、毎日更新300日目を迎えて。まぁ、ここまで来るのは決して楽な道じゃなかったし、何しろ3日坊主だったわたしが300日も継続できたことが嬉しくって(だって単純計算して100倍だよ?すごくない?)、色んなところで「今日で毎日更新300日です!」なんて高らかに披露しちゃったもんだから。色んな人から「すごい!」「おめでとう!」「いつも読んでるよ!」「日々楽しみにしてる!」なんて、ありがたいことにたくさんのコメントというか、激励の言葉というか、そういうのをいただきまして。(とっても嬉しかった)
「おお、わたしのこの毎日投稿チャレンジは、こんなにもたくさんの人に見守られていたのか……!」と、改めて実感したわけで。
そしたら、なんだか「読まれてるって思うと何を書いたらいいのかわからない」現象にとらわれてしまって。
なんだろう。「あまり世間には知られていなかったアーティストがヒット曲を生み出したけど、大事なのはその次の曲」みたいな気持ち。どうすれば一発屋で終わらないのか、みたいな気持ち。って言ったらいいのかな。
別にバズってもないし、世間から何かしらの注目を浴びているわけでもないのだけど、節目があった次の日って「これからも読み続けてもらうために何かしらの有益なことを書かなければいけない」「読みたいと思ってもらえそうなものを書かなきゃいけない」みたいな気持ちになってしまう。
そうなってくると、いつもはすらすら書いていた手がだんだん動かなくなってきて。何を書けばいいんだろう。どんな話を書けば読んでもらえるんだろう。って、うんうん頭を悩ませてしまう。
ま、そうやって思ったってことを書いてしまえばいいんじゃない?って思って今このnoteを書いているんだけど。
そもそも、noteでも度々言ってるんだけど、わたしの更新しているこれは、他の誰のためでもない、自分のためのもので。自分のために、感じたことや考えたことや日記をただつらつらと書いているだけのもので。
あくまでもそういったスタンスで書いているものなのに、誰かに感想をもらえるたびに「読んでくれている人」をあまりにも意識してしまって。きっと「自分が書きたい文章」じゃなくて「他の誰かのための文章」を書こうとしてしまうから、好き放題書けなくなって、苦しくなるんだと思う。
だから、なんていうか、ライターさんってすごいねえ。読み手のために文章を紡げる人たちは本当にすごいと思う。苦しくなっちゃうわたしなんて、まだまだだなぁ。
行き詰ったときとか、苦しくなってきたときにこそ、「何のためにわたしはこれをしているのか」っていう、目的に立ち返ることがすごく大切なんだと思ってる。
目先の目標だったり、何かしらの数字だったり、そういうのに左右されて本来の目的を忘れてとりあえず走ってしまっている状況になることが多々あるから。
何のためにnoteを書いているのか。何のために毎日更新をしているのか。
何かある度に、原点に想いを馳せようって思う。考えようって思う。
幸い、noteを遡ればわたしが考えたことがたくさん出てくるから。過去に考えたこと、想いを書き連ねたもの、嬉しかったこと悲しかったこと幸せだったこと悔しかったこと。たくさん出てくるから。
その根本にあるものを、原点にあるものを、忘れないように。
今日もおつかれさまでした。
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