ひとつの考えに縛られなくたっていいんだ
何のために働くのか。何のためにお金を稼ぐのか。
そういうのを、割と考えたりする。
以前までのわたしは、働くことに対して、大きな志を持たなきゃ行けないと思っていた。自分の仕事は、ライスワークではなく、ライフワークであるべきなんだって、思っていた。
わたしが叶えたいと思っている「誰もが笑顔でいられる世の中をつくる」というビジョンはずれていないし、今のお仕事はキャリアの面でそれを叶えられる仕事だと思っている。
だからこそ、これがわたしのライフワークでなければならないって思っていた。それが、わたしの首をずっと絞めていたんだなって気付いたのは、休職して、復職して、フルタイム勤務に戻ったごく最近のこと。
自分で選んだ仕事なんだから、そりゃ大きな志を持って、この仕事で夢を叶えるんだ!くらいの気持ちで打ち込めればいいんだけど、今のわたしはどうやらそうじゃないらしい。確かに今の仕事は楽しいって思うし、やりがいもある。でも、そんな大きな志を持ってまで出来るほどの熱量は、今のわたしには持ち合わせていない。っていうか、ここ4年ほど、ずっと持ち合わせていなかった。
自分の気持ちをだまして、無理に鼓舞して、がんばろうがんばろうってするのって、自分にとってはすごく負担だった。
だから、この仕事はライフワークではなくて、お金を稼ぐためのライフワークなんだって割り切ってみた。
するとなんだか、すごく気持ちが軽くなった。
自分の夢を叶えるための行動は、別に仕事とは別のところでもできる。そりゃ本業が自分の夢に直結するのであればそれが一番いいのかもしれないけれど、複業だったりパラレルキャリアだったりが叫ばれている今の時代なんだから、本業とは別のところで夢を追いかけたっていいんだと思う。それに伴って、自分の本業がお金を稼ぐためのライスワークになったって別にいいんだと思う。
仕事がんばろうっていう気持ちは特に今までとは何ら変わらない。でも、これをライフワークにしなきゃいけないっていう呪縛から解かれたってだけで、わたしはなんだか気分が軽くなった。
何でも大きく考えなくちゃいけないわけじゃない。自分の中で、自分の出来る範囲で、まずはやってみればいい。やっていくうちに、出来る範囲はどんどん大きくなっていくと思うし、やりたいことだって増えていくのかもしれない。
理想と現実のギャップに悩まされることは多々ある。でも、その理想って、本当に自分が思い描いていた理想なのかな。今までのわたしは「一般的にこうあるべき」とか「あの人たちから見て、きっとこうあるべき何だと思う」みたいなのが、自分の理想にすり替わっていたような気がしていて。だからそこに近づけない自分が苦しかったし、仮に近づけたとしてもその理想に対するぬぐえない「これじゃない感」にずっとフラストレーションを抱えていた。
誰の目も気にすること無く、本当に自分が向かいたい方向に向かえばいい。
本当の意味でそれに気付くことができたのは、きっとこうして毎日アウトプットを続けているからなんだろうな。
向かいたい方向はなんだっていいし、それに向かうための手段だって何でもいいと思う。自分の理想を叶えるためにやるべきことが、例えばお金を稼ぐことなら、今の仕事を目一杯がんばればいい。
ひとつの考えに縛られすぎなくてもいいんだから、もっと自分らしく、歩いて行きたい方向に進めばいいんだと思う。
今日もおつかれさまでした。
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