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「うれしい」は飲み込まない

「人生何周目?」「神か仏か何か?」「天使???」

なんていう言葉をいただくことが、実は少なくない。みんなはわたしのことを聖人か何かだと思っているのだろうか。

自らこんなことを書いてしまうと、自分のことをたいそう立派な人間だと思っている痛いヤツみたいになりそうだからちょっとアレなんだけど。(「ちょっとアレ」って便利な言葉だね。なんでもそれっぽく聞こえるし、アレって言えばなんとでもなりそうな気がする。なんとなくニュアンスをくみ取ってもらえそうな便利な言葉だなぁ)

自分なりに自分のことを分析をしてみたら、これなんじゃないかと思うことがあったので、書き残しておきたい。


「マイナスな表現は使わない」


これ。最初から結論を述べたんだけど、これなんだと思っている。

誰かの悪口、愚痴、なんか聞いたらちょっと嫌な気持ちになるようなこと、等々。そういうのは、絶対に言わないって、自分の中で決めている。だって、口にすればなんだか自分も嫌な気持ちになってしまうし、相手も良い気持ちにはならない。マイナスな言葉は自分のことも相手のこともみんなをどんどんマイナスの方向に引っ張っていってしまう気がするから。使わないようにしているっていうか、使いたくない。

でも。

わたしが何事に対しても悪く思っていないのかといえば、それはまた話がちがってくる。わたしは別にそんな聖人君主ではない。ただの人。27歳一般女性。

何か言われてムッとすることだってあるし、心の中では「は?どつきまわしたろか」と思うようなことだってある。本当に思っている。あ、でも「どつきまわしたろか」はちょっと言いすぎたかもしれない。

でも、わたしは目の前で起きたことに対する一次感情をそのまま口にすることはしない。基本的に、一次感情は自分の外には出さない。

ムッとして「は?」と思った後に、「でもどうしてこういうことが起こったんだろう?」とか「なんで自分がこういう気持ちになったんだろう?」っていうのを考える。そして、その二次感情が自分の表現として外に出る。

だから、人前で声を荒げるようなことだったり、イライラするようなことは、あまりない(と、自分では思っている)。

「自分はこんな人でありたいな」って思う理想の中のひとつとして、「誰に対しても心を配ることのできる優しい人でありたい」っていうのがある。だからわたしは一次感情をそのまま外に出すのではなく、ひとつ掘り下げたところからの感情を出すようにしている。


でもここで、ひとつ弊害が生まれていることに最近ふと気づいてしまった。

マイナスの一次感情を外に出していないのと同じように、わたしはプラスの一次感情も外に出していない。というか、なんだか出せなくなってしまった。

特に「うれしい」という気持ち。

「たのしい」は外に出せるんだけど、「うれしい」が出せない。どうしてなのだろう。

「うれしい」の気持ちって、多分自分1人だけだとあまり感じることがなくて。誰か自分以外の人がいて、その人に何らかのことをしてもらったり、自分を喜ばせてもらうような事象が発生して「うれしい」という感情が生まれるわけで。

でも、わたしは「うれしい」って思った後に「果たして自分はここまでしてもらって良いものなのだろうか?」「なんだか申し訳ない気がする」みたいなところまで考えてしまって、素直に喜べなかったりする。もったいない。人の好意は手放しに受け取って喜びたいのに、一旦飲み込んでしまっているのすごくもったいない。

「うれしい」「たのしい」「大好き」はちゃんと飲み込まずに外に出したいなぁ。なんか思わずドリームがカムトゥルーしそうな単語並べちゃったなぁ。


同じことをしていても、良いこととそうじゃないことってある。こっちの面から見ると良くても、あっちの面から見るとそうじゃないって、どんなことに対しても起こりうること。

一次感情を全て飲み込むことが良いことではないと思うし、かといって全て出してしまうことが良いとは思えない。

こうしてまたたくさん考えて考えて、きっと自分という人間を一生かけて作り上げていくのだろうなと思う。

思考もアップデートしていきたいな。

どうやら聖人君主への道のりはまだまだ長そう。



そんなわけで、今日もおつかれさまでした。




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