もし、また会える日が来れば
「お疲れ様でした」そのたった一言が、どうして言えなかったんだろう。
人生では、あらゆる局面で後悔することがある。「なんであんなこと言っちゃったんだろう」って思うこともあれば、「どうしてあの時これが言えなかったんだろう」って思うこともある。
後者は大概「ありがとう」や「ごめんなさい」だったりする。そんなたった数文字の言葉だけれど、その数文字にはそれ以上のたくさんの想いがこれでもかと乗せられている。だから、口にすることに勇気が必要なのだ。
わたしの実家の近くに、写真館があった。火曜日が定休日で、カメラマンはおじいちゃん1人。おじいちゃんとおばあちゃんがご夫婦で営まれている町の写真館だった。
以前この写真館で撮ってもらったのは、わたしの大学の卒業式の日だった。せっかく袴を着ているのだから、家族写真を記念に撮ろうと、その場の思い付きで電話をかけ、撮ってもらった。前もって予約をしていなくても対応してくれるようなところだった。別件で母が撮ってほしいと予約を入れた時も「今日はほんまは定休日なんやけど電話くれたからええよ~」と開けてくれるようなところだった。
わたしに子供が産まれて、お宮参りをすることになった。お宮参りの後の記念写真をどこで撮ろうかと思った時に、思い浮かんだのはその小さな写真館だった。何日も前からの予約なんて特に必要ないだろうとは思っていたんだけれど、念のためと思って電話をかけたのは、お宮参り前日だった。
「お宮参りのお写真を撮っていただきたいんです」
電話口でそう言うわたしの耳に、思ってもなかった言葉が返ってきた。
「あ~ごめんなさい。うち、もう去年の秋で閉めたんです。カメラマンが高齢なもんで、もう店じまいやなぁ言うて」
そうか。そうだよね。ご夫婦も結構なご高齢だった。きっとカメラマンのあのおじいちゃんも80代とかだったと思う。そりゃもう十分だよね。
「そうですか~。わかりました。ありがとうございました」
そう電話を切った後、猛烈に後悔した。
わたしはどうして、電話を切る前に「お疲れ様でした」の一言も言えなかったのだろう。何十年もわたしたちの町の写真館を営んできたおふたりに、どうしてねぎらいの言葉をかけられなかったのだろう。
大学を卒業して地元の大阪から上京して、見知らぬ土地で初めての1人暮らしが始まった時、持って行ったのはあの写真館で撮ってもらった家族写真だった。新しいお家の目立つところに飾っていたのは、あの写真館で撮ってもらった家族写真だった。みんなでちょっとおめかしして、写真館まで歩いて行って、ちょっと照れながらカメラの前に立ったあの日のことを、写真を見る度に思い出した。自分に自信がなくなった時も、仕事でどうしようもなく落ち込んでしまった時も、お家に飾られている家族写真に元気をもらっていた。
そんな思い出の写真館が、なくなってしまったというのに。わたしはどうして、そんな素敵な思い出をくれた写真館の最後に「お疲れ様でした」の一言も言えなかったんだろう。
いつかまた、あの写真館のおじいちゃんとおばあちゃんに会う日があれば、ちゃんと伝えたい。「お疲れ様でした」と「ありがとうございました」を。「撮ってもらった写真に何度も助けられました」と。