あれからちょうど9年だとか。
昨日は、みんなだいたい同じテーマでnoteを書いていたよね。
3.11。東日本大震災からちょうど9年の日だった。
多分、この9年、みんなそれぞれドラマがあったと思うし、この日を思い返すときの感情って、やっぱりそれぞれだと思うし。
だからこそ、わたしはこの話題について、触れられないなって思った。
だって、わたしはそこまで当事者として考えられなかったから。
こんなこと言うと、怒られちゃうかもしれない。なんだか、変な風に見られちゃうかもしれない。薄情だって、思われちゃうかもしれない。
9年前のあの日、わたしは大阪の実家にいた。大学受験も終え(受けた大学には全部不合格になって浪人することが決まって)、束の間の春休み。ちょっと部屋の掃除でもしようかとクローゼットをのぞき込んでいたときだった。
久しぶりに感じた大きな揺れ。びっくりして、リビングでテレビを見ていた妹と、顔を見合わせた。とりあえず、何かあったら危ないなと思って、モノがいっぱいの家の中にいると、きっと何かが倒れてきたら埋もれてしまうなと思って、外に出た。
そしたら、拍子抜けするくらいに辺りは平然としていて。さっき地震があったことなんて嘘のように、当たり前の変わらない日常がそこにはあった。
「なんだ、特に大丈夫か」そう思ってお家に戻って、テレビをつけた時、ことの重大さを知った。
それは、今まさに東北の、港の、海がどんどん引いていく瞬間だった。
「危ない」
テレビを見て思った。
「これだけ引くってことは、相当大きな津波が来る」
港の映像に映る人を見て、そんなところにいてはいけない、逃げないといけない、と強く思った。
わたしの理科の選択科目は、地学だった。センター試験も、もちろん地学で受けた。2011年3月。わたしは高校3年生。みっちり勉強していたからこそ、知識があった。
2010年の夏に、地学の先生から教わった津波の恐ろしさを、よく覚えていた。大きな津波が起きる前に、どんな現象が起こるのかも。検証のビデオを見て、そのあまりにもの脅威に言葉を失った。
でも、どこか他人事だった。こんな津波、きっと起こらないって、高3の夏のわたしは、思っていた。
でも、そんな起こるはずのないと思っていた光景が、まさにテレビの向こう側で起きようとしていた。見ていられなかった。
テレビに映る光景は現実味がなくて。東北に知り合いが一人もいなかったわたしは、なんだかどれも他人事で。
わたしは多分、みんなほど心を痛めていない。
大変なことが起きてしまったなとか、こういうときだからこそ自分にできることは何なんだろう?ってそういうのはすごく考えたけど、多分、みんなほど強烈な想いは抱いていないんだと思う。
感情を大きさで表すのも変な話だとは思う。でも、そんなわたしが、3.11の日に「あれから9年が経った」みたいな感じで何かを語るようなことは、おこがましくてできなかった。
でも、毎年そっと、Yahoo!の「検索は力になる」の企画に賛同している。検索して、SNSでシェアをして。きっと、それくらいしか、わたしにはできないんだけど。
微々たることかもしれないけれど、あの日のことを忘れないってことも、今のわたしにできることなのかもしれない。
色んなことが今もなお現在進行形で起きているけれど、今この瞬間に自分が生きているということを、やっぱり大切にしないといけないなって思う。
今日もおつかれさまでした。
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