「伊達」と言う単語についてまとめてみた。
はじめに
今回は「伊達」と言う単語について、調べたものをまとめてみた。
また小説などを読んでいた際に「伊達」と言う単語が使われていたので、これまでに読んだ本からその用法も抜粋し、下記以下に記録した。
「伊達」とは・・・
「伊達」について調べてみたところ、「伊達者(ダテシャ)」と言う単語が出てきた。意味は「人目につく、しゃれた身なりの人。多くは男性に使われる。類義語には「洒落者」、「ダンディー」などがある」と書かれていた。
また、日本語の単語としての「伊達」は、「豪華」、「華美」、「魅力的」、「見栄」、「粋」などの意味を表す用語である。元々は「男立て」のように「男を立てる」こと、意気を示して男らしく見せようとすることを「だてをす(る)」と言ったそうだ。
その他では、「派手」、「かっこいいところを見せようとしている様子」という意味を持ち、うわべだけで実際には中身が伴っていないということを含意することもあるそうだ。
伊達(否定形)
「伊達にこの歳まで生きていない」など、主に否定系で「伊達」が使われる際は、うわべだけで実際には中身が伴っていないことを意味する。 現代ではモテる男性を指して使われることも多い「伊達男」という表現がある一方で、「伊達」はネガティブなイメージを含んだ言葉としても使われる。
読み方
「だて」と読む。ただ、「だて」と読む場合、「伊」は黙字である(「百舌鳥(もず)」の「鳥」も黙字)。
語源
「伊達」の語源は「立つ」で、「目立つ」や「引き立つ」という意味を持つ。
このことから伊達メガネと呼ばれるようになった説があるそうだ。
(「オシャレメガネ」と言うよりは「目立つ・引き立つメガネ」と言う意味から使われるようになったのか?伊達メガネのイメージは目が悪くなくてもオシャレでかけているものだと思っていたため、必ずしもそうでないことに驚き中)
色々な「伊達」
私の知っている「伊達」の種類は①人名、②伊達メガネ、③伊達巻き、④伊達締め*(*着物を習っていた際に教えてもらうまでは存在すら知らなかった)ぐらいだ。
「伊達巻き」はなぜそう呼ばれるのか知らなかったので調べてみたところ「①着物の伊達締めから、②着るものに困らないように、③形状が巻物に似ているので学業成就、④書物のような巻物に似ている形から「知恵が増える」ことを願う縁起物」などが出てきた。(なるほど、お正月に食べるのには縁起が良いものらしい)
伊達引用メモ
下記に私のこれまで読んだ小説作品等から「伊達」が(人名以外で)使われている文章を参照しておくこととする。(電子書籍で読んだものは作者とタイトルのみ記録、シーンを覚えていれば合わせて記録)
下記
太宰治『兄たち』
(死に際した兄が「ダイヤのネクタイピンとプラチナの鎖があるから、おまえにあげるよ」と言ったシーン)
「兄は、きっと死ぬる際まで、粋紳士風の趣味を捨てず、そんなはいからの子と言って、私をかつごうとしていたのでしょう。無意識に、お得意の神秘捏造をやっていたのでありましょう。ダイヤのネクタイピンなど、無いのを私は知って居りますので、なおのこと、兄の伊達の気持ちが悲しく、わあわあ泣いてしまいました。」
太宰治『玩具』
「私は貧乏が嫌いなのである。生きている限りは、ひとに御馳走をし、伊達な着物を着ていたいのである。生家には五十円と現金がない。それも知っている。けれども私は生家の土蔵の奥隅になお二三十個のたからもののあることをも知っている。私はそれを盗むのである。
坂口安吾『石の思ひ』
(小学校の頃かの近視がすすみ、中学入学後は眼鏡なしでは最前列でも黒板の字が見えず勉強がおくれる。ようやく母に眼鏡を買ってもらい勉強に励もうとするが、手にしたのは黒眼鏡、それをめずらしがった友人がひったくったため眼鏡が壊れてしまったシーン)
元より私は再び買つてもらえる筈がないのは分かりきつてをり、幸ひ、黒眼鏡であつた為友人達はもともと私は目が悪くないのに伊達でかけて来たのだらうと考へて、翌日から眼鏡なしでも買つれ貰へないせゐだと思はれないのが幸せであった。
坂口安吾『群集の人』
やがて幾曲りかするうちに、今迄よりはやや広いひどく立派な並木路へ出た。おそらく八間ほどの道幅であらう。時々鈴懸の隣り合せた伊達なこしらへをした街燈があつて、そこだけの葉を円く照らし、潤んだあかりをおとしてゐた。
坂口安吾『吹雪物語』
「あれもあんた、然し伊達にひくわけはなからう。分つてゐるがね。しょせん音曲は色気のものだ。その道の娯しみのためにあるものさ。いやはや、あんたのペアノも、若松、鈴虫、猫の声とをんだじだね。」
坂口安吾『狼園』
「「余興だと言つた言葉は伊達の科白ぢやないのです。考へてごらんなさい。どこの馬の骨がだか分からない醜怪な男の腹の下で散々玩具になつた女を、世界に一人のおんなよやうに女房にできますか!僕は口程もない弱虫なんです。僕一人のことだけでさへ大変な重荷だ!まして連れ添ふ女の重荷まで背負ひこむなんて」」
三島由紀夫『青の時代』新潮文庫P68
「恣に(ほしいままに)妄想を自分に許す瞑想の時間、ここに於ては、彼はまことに自由闊達で、空想上の伊達者であった。」
以上