赤いセーター
久しぶりに、洋服を買った。
お出かけをするのだ、新調したいと思うのは人心だ。(ひとごころとよんでね)
お店で散々迷って、吉高由里子ちゃんがモデルできていたセーターは諦めた。
その鮮やかなブルーは素敵だったのだけれど、サイズ感にしっくりこなかった。
自分の息子ぐらいの年齢の店員さんが、丁寧に他のものも勧めてくれて、すぐに私はぐっときてしまう。
目の前にいる店員さんが衣料販売に携わる次男に見えて、もうこれにするか。とほだされてしまいがちである。
ただ、その日はなんとなく「もう少し考えます」と伝えて、その場を離れた。店員さんも
「はい、わかりました」とにこやかだった。
大きなショッピングモールで、これまでは入ったことのない店に入った。
そこにぶら下がっていた、赤いセーターを手に取る。
ある夏に、母がきていた鮮やかなピンクのサマーセーターを思い出した。
今年亡くなった叔母や、グループホームに入った叔母や、親戚がそれなりに揃い共にした昼食会で、母が着ていたものだ。
あの時、母は痩せていて、痩せたと言われるのを嫌っていた。
顔色のよく見える鮮やかなピンクは、体型や顔つきの変化よりも目を引いていて、母を明るく元気に見せていたように思う。
最近、買う服といえばどちらかと言えば暗い色や、差し障りのないくすみ色であった。
赤いセーターは、どちらかといえば朱色だった。
ビビットというよりは、暖かみがありオレンジに近いような。
試着してみたら、顔色がよく明るくみえた。
気持ちも晴れやかだった。
ハイネックの赤いリブセーターを、20代の頃は気に入って着ていた。
いつからか野暮ったく見えて、似合わなく感じて、処分した。
おかえり、赤。である。
歳を重ねて、洋服が似合わないと感じることが
多い。
どんな服も、なんだかいまいちでパッとしない。
体型の変化や顔つきの老化に気持ちが追いつけない。
昔はもうちょいなんて欲目もあり、今の鏡に映る自分の姿にダメ出しばかりしてしまう。
目を背けてしまうことが増えた。
ただ、赤いセーターを着た私はなんだか嬉しそうに見えた。それは私にとってちょっとした冒険でもある。
後日、赤いセーターをきて訪れた鳥取砂丘で、
私は上空を見つめていた。
空中散歩をするリフトに乗る人たちに、手を振りたい衝動を抑えていた。
私は、とにかく手を振りたい人だ。
すると、上空から2人の男の子が私に向かって声をかけてくれた。
こんにちはー!
小学生か中学生か、2人の男の子は兄弟のように見えた。
こんにちはー!!お天気が良くていいね、行ってらっしゃい!
と手を振ると、
はーい、行ってきまーす!と手を振り返してくれた。
隣で夫が
手を振りたくてうずうずしているのがダダ漏れだ。と言った。
だって振りたいし。いいこだなあ。おばさんの希望を汲んでくれて。嬉しいなあ。赤いセーター着ていてよかった。
赤いセーター関係ある?と夫。
おおいにあるよ。赤だから気づいてもらえたんだよ。と胸を張った。
ちなみに、私が明るい色を着ようって思ったのには、この人の影響も。
カニさんを見ていると、気持ちが明るくなる。
カニさんのファッションを見ると、元気になる。
それもお手本になっています。