手放したもの・手に入れたもの
久しぶりに直属の上司と、ショートステイのお迎えに行く車内だった。
私は老人ホームで働く介護士をしている。
「俺はどうしても納得いかないんだよ。今回の人事でなんでおだんごさんが異動ではなくて、別の人が選ばれたのか。」
上司は、当事者の私より憤慨していた。何年も何年も、私の想いを聞いてきた人だ。私は、随分前から今の特別養護老人ホームの介護士としての仕事だけでなく、在宅介護に携わる仕事も経験させてほしいと希望願を出していた。
いろいろな現場をみて、多角的な視点で介護をしたい。
地域にでて、実情を知りご家族と直接やりとりする仕事をしたい。
同じ場所に停滞することで、生まれる馴れ合いは現場の空気を重くする。
私よりも若い子たちに多くの経験をさせたい。責任のある仕事も任せたい。
人や役職が変わることこそ、環境こそが人を成長させると思う。
異動希望の理由は何回も述べたし、書いた。
人事の発表の直前に、園長に呼ばれた。言い訳めいた長い説明に
自分の希望がかなわないことは察していたので、私は終始冷静だった。
憤慨する上司に
「大丈夫ですよ。私はもう、組織で評価されることも、組織の中でキャリアを積み上げる夢も手放したんです。こだわりを捨てたら楽になりました。」
と笑って答えた。もう急に辞表出すとか言いませんよと付け加えた。
私が勤め始めたころより、組織は大きくなった。
組織は大きくなるのに、どんどん新人職員の採用は減った。
以前に比べ、若い人が介護の仕事に就きたいと希望することは格段に減っている。採用試験に誰も来ないという年が何年続いただろう。
同じメンバーが、ただ年を重ねていく。新しく入ってくる人は、転職組で、
ある程度人生経験がある人が多くなった。
組織の将来が不安になる。老舗だから、大丈夫なんて高をくくっていたら、必ずいつか立ちいかなくなる。
そういう危機感から、小学生や中学生への仕事教育の機会を設けてほしいとか、地域交流を活発にしようとか、介護士育成の専門学校への売り込みとか何回もプレゼンした。就職ガイダンスに現場の職員を行かせてくれとも言った。事務員の30倍は面白おかしくプレゼンする自信があった。
一つも、やってみたらと言われなかった。
疎ましいと思われていたと思う。やいやいと口ばかり達者で、自分たちのやり方を古いとか、遅れてると思ってます!と顔に書いてある中堅職員なんて、俯瞰で見れば嫌われて当然だ。
嫌われていればもちろん、希望が叶うことはない。叶えてやろうと親身になってくれる人は、同じ考えの人たちで、そうした人たちはどんどんここを離れていった。
沈む前に降りるよ。そう言われている気がしていた。
からだばかり大きくなった、底に穴の開いた船に残されるような気持ちだった。ずっと不安と焦燥ばかりあった。
それでも、私がここを離れられないのは、収入のためだった。
今と同じ給料を、今住む地域でもらうのはどこに転職しても無理だった。
次男は大学生で、三男は高校生で、二人の将来につなげる教育を支援するには今の仕事をやめるわけにはいかなかった。
そして、やっぱり一緒に働く仲間が、苦しくなるのを見るのも嫌だった。
一人減れば、一人減った以上のダメージを受けるのが介護の現場だ。
それが、異動ならいい。退職のダメージは大きい。さらに同業種の転職だときつい。
誰かの選択や旅立ちを何度も見送ってきた。笑って背中を押してきた。
だけど、心の中は荒れていた。いつも捨てられたような気持ちだった。
ずっと同じ場所で働くことが無能なように感じていた。
決断できないことが意気地がないと感じていた。
何年、組織の悪口を言ってきただろう。何年、自分を情けなく思っていただろう。
今、私は組織を悪くいうエネルギーがなくなってしまった。
それは、悪いことかもしれないけれど、そのエネルギーは今noteに向かっている。
子供のころから書くことが好きだった。
得意なことと言われたら、これしか思いつかないほどに。
いつか、書くことを仕事にできたらいいのになと思っていた。
結婚して子供を産んで、生活のために仕事をして、そんな思いはどこかにしまったきりになっていた。
自分の生活に支障のない範囲で、それでも好きなことを始めようとnoteをやり始めた。
何を書こうかと逡巡するうちに、自分には否定ばかりしてきたこの場所にしか書けるものはないことに気づいた。
特別なものが何もない私が、ひたすら続けてきたこの仕事。
自分の前をよく見つめるようになった。自分の前にいるお年寄りを見ているうちに、私は私が思っている以上にお年寄りが好きで、介護の仕事が好きだと気付いた。
バカだったなあと思う。何年も何年も、自分のことしか考えていなかったんだ。
誰のための仕事か。今、目の前にいるこの人たちのために私は働いているんじゃないか。なんで、一番大切にしなくてはいけないものを見誤っていたんだろう。
唐突に訪れたその気づきは、一気に私の肩を軽くした。
自分が組織で評価され、認められ、出世すること。
そんなことにばかり重きを置いていた自分に嫌気がさした。
ああ、そうか、私はこの目の前にいる人の笑顔を見たり、ありがとうを聞いたり、最後に、手を握り寂しくないようにさようならをするのが、自分の仕事だったんじゃないか。
こんな当たり前をどうして見失っていたんだろう。
私が介護士を目指した頃に抱いていた気持ちは、長い経験の間に変化し別のものを目的にして、随分かすんで見えなくなっていた。
今、自分を評価するのは自分になった。
きちんと向き合えたのか、思いやりを忘れなかったか、
一緒に今日も笑えたか。
今の自分を私はとても好ましく思っている。
たとえ、沈みかけた船だとしても、私が乗っている限り、私はお年寄りを笑わせて楽しませて、時には一緒に泣いたり怒ったりできる。
そういう自信は24年乗ってきたから言えることだ。
だてに長く乗船していない。そのくらいにプライドはある。
ならばもういいじゃないか、私。いい感じじゃないか、私。
はたらくってなんだろう?
手放して、手に入れた答えはそうやすやすとは教えられない。