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恩恵と消費

ああ、とうとう消費されるのか。

これまでに受けた恩恵を数えあげる。

大好きなあの人やこの人を思う。

心を震わせたいくつもの出会いを省みる。

どれもこれも奇跡だ。


それをもたらしてくれたのは紛れもないこの場所で、いつだって感謝しかない。


だから仕方ないのか?

どうせ、私はこの場所を手放せないんだから、
知らんぷりをしていればいいのか?

そのうちには慣れる。私は飽きやすい。今の違和感をこの鮮度で持ち続けることなど到底できないだろう。


少し辛抱してればさ、そのうちには、もうどうでもよくなる。そんなことが数えあげたらキリがない。


ってことかな。


なんだってそうだ。


いつだって今よりもっとが評価される。


だけど、今回のこれは安易だったんじゃないかな?ちょっとみくびられたよね。と感じさせてしまうのは得策ではないよね。


noteの街が発展し、事業として大きくなる中でアップデートが必要なことはわかる。


収益が出なければ継続していかない。


noteの平和を守るには、変化と代謝は欠かせない。


それでも、チップはいけすかないね。


サポートを守って欲しかったな。


サポートする私達の心意気を大切に思って欲しかった。


noteで自己表現する人達が、相互に高め合い、支え合うことを尊いと思ってくれているならば、私はチップという言葉の選択はなかったんじゃないかと思ってしまう。


安心して自己開示ができること。


noteだから書いていること。


他のSNSをやらない私がnoteを選んで書いていること。


お金ではないものさしで測られた価値が循環するnoteで、これほどまでに恩恵を受けてきたからゆえに、きっとひとこと届けたくなってしまうんだよね。お節介は百も承知。


一度決めて動き出したから、きっと後ろは振り返らないでしょう。


前進こそがあるべき姿と刷り込まれているでしょう。


もしも、振り返って落とし物を拾ったら、ちょっと痛快で益々好きになるけれど。


誰かへのサポートがチップという名称に変更になったことに対して、強い憤りを感じています。


おすすめしたいという気持ちを、高評価などと言い換えられたことに対しても違和感しかありません。


よりわかりやすく。より効率的に。より有益に。


それにより削ぎ落とされた想いは、信頼をも削り取る。私はそう思います。


恩恵には敬意で応えてきたつもりです。


恩恵には感謝で応えてきたつもりです。


恩恵には消費でバランスを求められたら、シーソーは傾くと思っています。



#物申すnote



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おだんご
お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。