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屋上で昼ごはん
今、16歳の息子が生まれて半年の頃だった。
その日は、3番目の息子を実家に初めて連れて行く日で、上の子供達も久しぶりのお出かけに張り切っていた。
今でも忘れない。夜勤明けで車の後ろに乗り、
「寝ていいからね」と夫に言われた。
ふと見上げた空に珍しい雲が浮かんでいた。
あまりみたことのない雲だった。
実家に着いて少し休んで、馴染みの美容室に行った。
その時、揺れた。
震度3ぐらいだった気がする。
「新潟はあんまり地震がないんですよ。
関東の方が多いし、大きな地震がきたら都会は怖いですよね。」
そんな風にお店の人と会話した。
帰宅してテレビを見たら、震源地は私達がよく知る景色だった。
平成16年10月23日新潟県中越地震だった。
翌日、夫は私達を残して先に帰った。
家族は無事で、家にも大きな被害はなかった。
数日は実家で過ごしたが、職場や友人達が心配で、一番大変な時に何も役に立てない不甲斐なさに押し潰されそうだった。
子供達は実家に任せて、どうにか私だけでも新幹線で帰れないかと向かった大きな駅のホームで、職場から電話が来た。
私にそちらに留まれという連絡だった。
赤ちゃんもいる。お兄ちゃん達もいる。
たまたまそちらに行っていたことには、きっと意味がある。守られているからだから、無理に帰ってこないで大丈夫。主任はそう言った。
今いるメンバーで、現場はまわしているから。
頑固で責任感だけは持ち合わせていた私は、なかなか「はい」と返事をできない。どうにか説得しようと、代わる代わる仲間が話す。
「おだんごさんだけでも助かってください。
まだ、揺れるんです。怖くて怖くて帰ってきてなんて言えないんです。」
最後に受話器を握った仲良しの後輩がそう言って泣いた。
駅のホームで、しゃがみこんでしまった。
ごめんね、ごめんねとしか、私に言える言葉はなかった。
私は電話の後、しばらく新幹線の発車予告の掲示板を見ていた。
私が目指す駅名まで届けてくれる新幹線は見当たらなかった。
その数日後、家族で自宅に戻り、私は仕事に行った。
車で寝泊まりした日もあった。車庫でご飯を食べた時期もあった。
余震対策だ。余震は来る日も来る日も続いていた。
仕事に行けば、被災で介護が難しい方を受け入れに行き、救援物資を整理し、いつもと違う毎日で、うまく休憩が取れなかった。
休むことが悪のように感じていた。
地震直後の大変を知らない私は、みんなと休憩室でごはんを食べることができなくなった。誰も私を責めることなどしなかったのに、自分で自分を責めていた。
被害がひどく避難所から通う人もいた。家族が体調を崩しそれを支えながら働く人もいた。身の置き所がなく、ただただ申し訳なくなり、喉が詰まってしまう。
その頃、屋上でひとりでお弁当を食べていた。
長男や次男の通う小学校や保育園の方向を見たりした。
自宅で三男を常に背負って家事をする義母を思ったりした。
時間がある程度経過すると、もちろんだけど、
テレビは通常のバラエティー番組が放送される。
あははと笑う芸人さんを観てもうまく笑えない日もあった。
自分の日常とは異なる日常に、嫉妬したり、憤っていたのかもしれない。
屋上でごはんを食べていると、嫌でも空をみる。
あの人はどうしているか、あの人は元気か?
遠くにいる人を思い出す。今のこの地震に関係がないところに住む友人を思い出していた。
自分には、遠く離れた人を元気でいてほしいと思う力があるんだなと感じた。
今、自分がこんな風に災害を目の当たりにして、様々な悲しみや怒りに触れていても、大切な人の平穏の価値が変わることはない。
元気な人に、同じように疲れて、同じように悲しんでほしいとは思わなかった。
元気な人には元気な場所で元気でいてほしい。
そう思っている自分に出会えてからは、バラエティー番組は、わははの場所に戻ってきた。
そのうち、屋上に行かなくなった。みんなとごはんを食べても喉に詰まることはなくなっていった。
私は、あの地震で日本全国から届く支援の物資や励ましを受け手として体験しました。
あの感謝を忘れることはありません。
しかし、災害ボランティアの経験はありません。そうした実働を伴う支援を行う人を心の底から尊敬しています。
私自身は、助けられた経験があるのに、自分の生活を優先して、出来る範囲の寄付で自分の心をそちらの方向に向けることしかしてきませんでした。
今回、この投稿はレシーブ緒方さんの投稿を目にして書きました。
レシーブ緒方さんのことは、3児のパパさんや、すず太郎さんのコメント欄でアイコンをお見かけしていました。
今日はじめてきちんと投稿を拝読して、私もこの企画に参加したいと感じました。
日本は、様々な自然災害で傷つき、それでも復旧や復興を重ねています。
失ったものはかえらないし、取り戻す時間は莫大で、
いつだって葛藤や不安がつきまといます。
それでも、それでもと前を向くことが、どれほど胆力のいることか。
私のようなものは、頭を下げるばかりです。
支援などという立派なものには追いつかないと自覚しています。
それでも、今、もしも少しでも自分が出来ることがあるなら。
エールだけは送りたい。そう強く思いました。
今、自分の生活を取り戻す努力をされているみなさんの健康と未来に祈りを込めたnoteです。
こちらの投稿に刺激を頂き書きました。
私が仲良くしていただいているnoterさんが沢山賛同されていたことも背中を押してくれました。
レシーブ緒方さんの活動が多くの方に広まりますように。
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![おだんご](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/148214526/profile_ce179afa3122a2b0b72e20eddd9bab8d.png?width=600&crop=1:1,smart)