繫華街を歩くと少し淋しい
髪の毛を切りに行った。ホットペッパーで検索して、繁華街のど真ん中にある美容室を予約した。
初めての美容室には、アシスタントの若い人がたくさんいた。シャンプーをしてくれたり、マッサージをしてくれたり、カラーをしてくれたり。中学生の女子も、20代のピアスが光る男子も鏡の向こうに見える。ピンクや蛍光色の緑を着こなしている。
まずまずの仕上がりになった。店を出て、途中で見かけた話題のドーナツ屋「I'm donut?」の系列店「daco」に並ぶ。金髪のロング、巻髪、くるんと上がったのまつげの女子3人の後ろ。肌もぴかぴかしている。ま、まぶしい。
かわいいドーナツがきれいに並べられている。家族にLINEで何が欲しいか尋ね、生ドーナツと塩パンなど9個をテイクアウトした。
10月の3連休。繁華街には、美しいドレスとスーツを着た若い人が、白い大きな紙袋をもっている。結婚式帰りかな。最後に結婚式に出たのは、コロナの前だったよな。
福岡の繁華街は、インバウンドの外国人の観光客がいっぱいだ。ドン・キホーテの1階はお土産売り場になっていた。お菓子を大量にかごに入れる、知らない言葉を話す人たち。
いつからか、繁華街に行くとちょっと淋しい気持ちになるようになった。若いころはわくわくしていたのに。この気持ちは一体、何だろう。
流行りとか、最先端とか、そういうものに自分が入れなくなったことかな。食べ物とかインテリアとか、暮らしジャンルの流行りには乗れる。デパ地下が盛況なのは、食べ物の流行りは全年代が抑えることができるからだ。
ファッションや見た目系は、10代と20代以外は流行りの恰好やメイクをしても不気味になる。まったく流行りに乗らなくても、それはそれで化石のようになる。塩梅が難しいのだ。
繁華街を歩くと、大量の若い人の波を見る。戸惑いを感じながら。「ああ、いいな」と元気をもらう。そして、「もう、あちら側に戻ることはないな」とも思う。それが淋しい気持ちになるんだろう。
帰りの電車に向かう。電車には老若男女がいる。少しほっとする。
鞄に入れた読みかけの本を開く。文字を追って、ふと見上げると電車の窓から空が見える。空の高いところにある、秋の筋雲。
流行りのドーナツを手にしている。帰ったら家族と一緒に食べよう。
家路につくと、ほっとする。いつもの家族、大好きなものに囲まれた家。
そしてふと我にかえって、「若いころに戻りたいのか」と自問する。あんなに将来が見えなくて、金がなくて、自意識過剰でやたら神経をすり減らしていた。今も本質は変わらないけど、「まあ、いっか」が増えた分、楽になった。
繫華街に出ると「今の居場所はここじゃないな」と思ってしまう。それは何かを失ったような感じだ。だけど、日常生活の場所の安心感を確認できる。
また街に出よう。デパ地下で、今度は何を買って帰ろうか。