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障がい者の世界とわたしの世界が混ざっていくーNHK番組「あおきいろ」

 障がい者と自分は分かり合えない世界もあれば、近い世界もあり、そして重なる世界もある。私も障がいがあるといえば、あるのかもしれない。障がい者と健常者という分け方はできないのではないか。


 
 どこかで「障がい者(特に知的や発達などの脳機能に関する障がい)は怖い」と思っていた。それは、特に小さいころや思春期の経験が大きい。

 小さいころ外で遊んでいると、公園でずっと意味不明な言葉をブツブツと言う人がいた。「なんか違う」という違和感。高校生のころ、バス通学をすると車内をぶつぶつ言いながらずっと立ち歩く人もいた。彼に急に頭を叩かれたこともあった。痛かったし、怖かった。周りの大人は見て見ぬふりをしていた。

理解ができないものに、人は怖さを感じる。

 ああ、こういう人がいるんだ。何をするかわからないから、とりあえず避けることが大切だ。わたしは感覚的にそう学んだ。

 就職して色々な研修をうけたり、授産施設で障がいのある方と一緒に働いたりした。自分が差別の芽を持っていること、学び続けることが大切だと分かった。障がい者差別についても20年間ずっと学んでいる。差別解消のため、市民に啓発もしている。

 でも、嫌な思い、不快な思いがこんなにも心の中に残っている。やっぱりどこかで、怖いと思っていたのだと思う。

 それが大きく変わるきっかけになったのが、NHK教育で放送されている「あおきいろ」という番組。

 コンセプトもすごいと思う。しかし一番すごいと思うのは、それが「子どもでも感覚的にわかるレベル」まで作りこんでいること。

 この番組を観ると、少しずつ障がいのある人に対する怖いが薄くなるというか、あいまいになるというか、そんな気持ちになる。

 「あおきいろ」の中で衝撃を受けたコーナーは2つ。

 ダントツの1位は「くりかえしのうた」である。

 ずっと時計の数字を言い続ける人、袋ラーメン(しかもサッポロ一番醤油味でないとだめなようだ)をずっともみ続けている人、同じ地蔵をぶつぶつ言いながら作り続ける人などが登場する。同じ袋ラーメンが棚に何百と詰め込まれている風景、同じ地蔵が何百と並べられている光景は、私には理解できない。

これがですね、棚に大量に並んでいるんです。

 何を言っているのか、何をしているのか理解できない。でも、その人の心象風景を歌とアニメーションにして見せてくれる。本当にそのアニメーション通りかは分からない。でも、それを見ると「ああ、そういうことなのか」となんとなく理解できる。

袋ラーメンをもむ彼女の世界のアニメーション。

 怖い、が和らいでくる。少しでも彼らの世界を理解できた感覚は、障がいのある人の世界とわたしの世界をつないでくれた。

 第2位は「アイラブミー」というアニメ。

ミーの頭は、ぼうしだったということが判明。

 感性が敏感な「みー」。お母さんと離れると「いなくなっちゃうかも」と思ってしまう。突然体を触られてぞわぞわするけど、自分の思いを言語化できない。ぼうしのことをバカにされたけど、何と言っていいかわからない。とにかく娘に似ている。

 娘と一緒に観る。「みーってわたしみたい」と、自分を客観視しているようだ。「そうそう、分かる!」と。

 「みー」は言語化したり、周りの人を頼ったり、色々な方法で自分の感性の鋭さと周りのギャップを乗り越えていく。娘はそれで何かをつかんでいるのかもしれない。

 自分は障がいのある人とは違う、というのではなくて、ただ「自分と他人はちがう」というだけだと思う。同じところがあれば、違うところもある。違うところはできるだけわかるようにしていこうよ、分からなくてもさ。そんな世界もあるよね。
 

まざりあう、ってそいういうことなのかな。

 危害を与えることはだめだよ。それはどの世界でも同じ。相手の世界もできるだけ大切に守ろうよ。もちろん自分の世界も。

 こういう番組を純粋に小さいころから観ている世代が大きくなった時、どんな風に日本が変わっていくのか、とても楽しみ。

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