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不憫だった、中指の爪

手をしげしげと見つめる。少し筋ばっているがピアノを弾くにはほぼ不便のなかった指と、およそ均整の取れた楕円形の爪。そのなかで、右手の中指の爪だけが他と比べて5mmほど長く、強い丸みを持っている。学生時代、存在感を放っていたペンだこは、もうとっくに姿を消したのに、中指の爪だけは、ずっと変わらない。これは、大変苦しかった時期の傷の名残みたいなもので、それ故に私は、「爪」という部位を蔑ろにしてきたところがあった。

学生時代、慢性的にストレスのかかる環境下にあった。自身の力では逃れようもなく、光の差さない洞穴で一人座り込んでいるような感覚に陥ることもしばしばあった。そんなストレスの皺寄せは、手指をこするという行為となってあらわれた。気持ちを落ち着かせるためか知らず知らず指同士をこすり合わせ、気づけば出血するような傷が、いくつもできてしまっていた。

特に、右手中指の上半分は、酷い有り様だった。ステロイドしか処方されないと分かりながら皮膚科に何度も通ったけれど、一向に治りそうになかった。わざと触っているわけでもなかったから、自身の指の、見るに堪えない醜さが辛かった。友人の目に触れないよう、そっと手元を隠すこともあった。目にすると否定的な言葉を投げつけてくる親にも、嫌気がさしていた。

ストレスの原因が取り除かれた後、不思議なまでに傷は消えていった。それでも、長期間の負荷により中指の爪は歪に婉曲したまま、元の形には戻ってくれなかった。指の形もあいまって、少しでも爪が伸びていると異様に見えるらしく、知人から「魔女みたいな手」などと形容されることもあった。それはいつも決まって、右手を指していた。

傷はすっかりなくなったのに、爪を見られることを忌避したい気持ちは残ってしまった。そんなこんなで、私と中指の爪との間には確執があり続けた。


話は変わり、少し前から、自身をケアする習慣が増えている。意識が高くなったとかそういうことではなくて、なぜかそういう時期に入ったというだけだ。ドライヤーを使うときはヘアオイルをつけたり、朝と夜に軽いストレッチをしたり、と簡単なものばかりだけれど。

そのうち手のケアにも飛び火して、ネイルオイルというものを知った。爪の根元辺りにまめに塗りこむことで、健康的な爪が生えてくるのを手伝ってくれるらしい。そんなものがあったのか、と目から鱗だった。

売り場でいくつか物色したのち、ukaのオイルを買うことに決めた。匂いも、コンセプトも素敵だった。帰宅後、オイルを塗りこまれて艶々している爪は何だか、キラキラと喜んでいるようにも見えた。

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中指の爪は、いつか他の爪に近い形に戻るかもしれないし、ずっとこのままかもしれない。それでもまあいいや、と思えるようになりつつある。

これまで気も遣わず、目を背け続けてきたことを少しだけ反省する。

これからは、歪なままの部分も、そのまま大事にしてみるね。


(和歌山・白浜の三段壁にて。トンビの舞う姿が大変よく似合う絶景。)


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