恐れの中に沈んでみたら
我が家のこども達
中学生の息子は
中1からフリースクールに行き
娘二人は
わたしが運営しているフリースクールに週一回通いながら学校に通うルーティンだったけど、夏休み明けから毎日学校に行きたがらなくなった。
そのことでお父さんともぶつかり
一時期カオスな状況へと
学校に行ってほしいという思いの裏には
普通に勉強もしてほしいし
このまま行かなくなったらどうなるのか!?
学校にいかない間、どうするのか!?
その間、だれが見るのか?
将来は?
とか色々と思いが交差する。
私の場合
自分でフリースクールをやっているくらいだから、別にいいじゃん、たのしくワクワクして過ごすのが一番じゃないとなるけど
一般的にはなかなかそうもいかないようで
おばあちゃん、おじいちゃんなど外野の声もうるさく
それでなくとも
毎日、フリースクールに通う息子のことは わたしでも時々
こんなで大丈夫かしら!?と思うこともよくあるから
お父さんは尚更心配なよう。
今回、わたしが心配し恐れたのは
こども達がルーティンを変えることによって
わたしのルーティンが壊れるという恐れ(
どこまでも自分中心のよう)
今ある自由がなくなるやん!と
しかし、心配とは何か
心配を紐解けば
明らかにそれは
わたしの「恐れ」表れで
なぜ恐れるかといえば
それが起こったとき感じるであろう
痛みや苦しさや悲しみ
つまりは嫌な気持ちを味わうのが怖いから
ただ、それだけ
色々と新たなことに飛び込むとき
ふとした瞬間
その恐れは
大きな生き物のように
わたしに向かってくる
でもその恐れの中に
深く沈んで
痛い、つらい、悲しい
と体の感覚を味わっていると
大抵はどこかのポイントでなんとも
感じなくなるもので
そうすると
あれ!?
なんにも怖いことないやんと
なる。
たとえ、本当にその状況になっても
怖くないなと思えるようになる。
一番恐れている状況を想像して
その痛みの中に飛び込む感じね。
これは不思議なものだけど
効果的面で、わたしは大体これで恐れを
克服してきた。
こどもを守らなければ
導かなければと
こどもを心配しているふりをしてるけど
その心配の正体は
周りになんと言われるだろうとか
自分の安心安全な領域を壊されたくない
などなど
実は親の恐れな気がする。
だからこどものせいにするのは
止めたほうがいいよね。
結局のところ
こども達は大丈夫だと思う。
そして
あなた達は何があっても大丈夫
そう全信頼を向けることが
わたしが親として
こども達にやっていきたいとこ
学校にいく
いかない
そんなことは
本当はどっちでもいいんだよ。
だから、
全信頼を向けるためにも
親であるわたしが
いつも様々なものに対して
軽やかでありたい。
いつも根っこから
かき回されまくり
疲れもするが
こども達はやっぱりマスターで
わたしはこども達のおかげで
毎日、わたしと出会っているなと思う。