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I think about son 11

2023年4月。中学2年生になり新学期が始まったが2日行って、また彼は休み始めた。私も背中を押す事をやめ、仕事を休まず普通に出勤した。行かなくていい、と言った事で吹っ切れた感覚だった。

ただ、休んでいてもいいけど充実した時間を過ごして欲しい。そう彼に伝えてざっくりしたタイムスケジュールを一緒に作った。

午前中、学習をしたらお昼まで自由、食べたらまた学習、夕方からまた自由。ご飯は一緒に食べてお風呂もきちんと入ること。

3日しか続かなかった。

私は常に彼の様子を慮った上で、自分にやれる事を考えて行動していた。でも、どれも崩れていく。どんどん使える案がなくなっていく。旦那さんや周りからも色々言われて、私の心身も削られていた。

世間が浮かれるGWが近づいてきても、全く楽しくない。家は旦那さんは繁忙期で連勤だし、昔からずっと1人か子ども達と3人で過ごすからだ。不登校が始まって余計にゲーム三昧の日々だから、いつも以上に憂鬱なGWだった。何処か1人で旅が出来たらどんなにいいか、と想像した。

そんなGW中に近くので山へ子ども達を誘って行ってみた。焚き火など出来る癒しの空間。着いてみたら、たまたまフェスをやっていてたくさんの人が居て、おしゃれな屋台が出ていた。

昔からの知り合いの人がいて、幼い頃の彼を知っているからこその助言ももらえた。
学校が合わないのは仕方ないよね、好きなこと、夢中になれることがあれば大丈夫!と普通の表情で言ってくれた。

初めてだった。

子が学校行けてなくて、、と話すと大抵の人は眉間にシワを寄せ暗い表情になる。こちらが普通の表情で普通に話しても相手は大抵暗くなる。

やはり世間の不登校に対するイメージなんだろう。確かに私も初めの頃は近所や学校が同じママさんには知られたくなかった。スーパーに行くにも目深にキャップを被り、マスクをしていた。近所の目も気になっていた。

でも次第にそれも薄れていった。
不登校の保護者の人と思いを共有したり、職場で隠さずにたくさんの人に相談したり、話せそうなママさんには話したり、、そんな事を通じて自分の考えも変わっていき、なにより話すことで自分の精神も安定した。

話すことの力はすごい。
私はずっと助けられてきた。

〈赤く染まった空から 
 溢れ出すシャワーに打たれて
 流れ出す 浮かび上がる 
 一番弱い自分の影
 青く滲んだ思い出隠せないのは
 もう一度同じ日々を 求めているから

 君が知っている 
 空の青さを知りたいから
 追いかけてる 追いかけてる
 届け〉

 引用
 あいみょんー【空の青さを知る人よ】

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