不登校と諦め②
仕事はなくなり子ども達は春休みに入った。
毎日、家事と子ども達の事をこなす日々。
子の不登校が始まってから「家に誰もいない」という時間がほぼないから朝活を始めた。
早朝に起きて1人でコーヒーを飲みながらnoteを観たり書いたり、ピラティスや瞑想をする。だいぶ心身が落ち着いてる。
子を送迎する為に去年の夏は中古車を買って、ペーパードライバーを卒業した。真夏に中学校までの道と駐車場、スーパーの駐車場の隅でひたすら練習。今では近所や少し遠くのモールなどは問題なく行ける。歌も歌う余裕がある。
スーパーの駐車場は何か買えば1時間は居られる。この時間がとてつもなく有り難い。
隅の方へ停めて車の中で本を読んだりスマホで調べ物したりする。いつもはあんまり満足しない缶コーヒーも、美味しいと感じ心底ホッとする。
自分の空間があるって素晴らしい。
子の中学最後の1年間がもうすぐ始まる。
誕生日もあるから15歳になる。
東京の桜が満開の日に生まれた彼。
あれから15年が経つ。
4月から彼がどう動くのか。この先の事をどう考えているのか。1年生から2年生に進級する時は彼の考えを聞いたり、じゃあこうしていこうか。と提案して私が引っ張っていた。始まりは上手く進んでも段々と崩れていき、また歩みは止まる。そして、また私が違う案を出してそれをやってみる。止まる。
この繰り返しだった。
仕事がなくなり家事や子のことに専念できると気が少し楽になった気持ち半分、もう子に対して私が出来ることはあるんだろうか、進路は自ら調べて決めて欲しい、どうせ私が提案したって何も続かないんだろうと、投げやりな気持ち半分になっている。
もうどうでもいいや、と。
きっと自分の仕事もなくなった事が大きい気がする。退職を決めたのは自分だから仕方ない。でも、自分の学び、経験、特技を生かしてその対価をもらうことは私にとっては自分の存在価値を感じられることだった。自分に自信がないからこそ、感謝されたり褒められると余計にその思いは強かった。
家事、育児ではそれを感じられない。
家事は自己満足でいいんだ、と毎日言い聞かせてる。育児はどうにもならない。不登校が始まってから何度自分を責めただろう。
今も続いてる。
退職したらキャリアアップの為に、また大学の通信過程で学ぶことも考えていた。でもそれも旦那さんから意見でやめた。いつ卒業できるのか、ちゃんと職につけるのか、どのくらい稼げるのか聞かれてなんだか気持ちが冷めてしまった。色々な事を両立しながら旦那さんの言う計画通りにやる自信が無くなった。学費もかかる事だから意見を退いてやる訳にもいかない。
仕事もキャリアアップも諦めて先が見えないことで生まれた虚無感。心に穴が空いて塞がらない。ただただ、このまま年を重ねていくんだな、と思う。
虚しさがある一方、早朝や車での1人の時間に幸せを感じて、いいんだ、これでいいんだ、充分じゃないか。と言い聞かせてる自分がいる。
諦めから学ぶことは多いはず。
前向きな気持ちはゼロにはしたくない。
〈逃げるな
前を向け
息を吸って前進しろ
傷ついたって みっともなくたって
人生は飛び込まなくっちゃ〉
引用
Netflixー【First Love 初恋 NO.8】