【中国崩壊論・番外編#1】宋暁軍ほか『不機嫌な中国 中国が世界を思い通りに動かす日』
中国の人々の「むき出しの本音」とは
急に忙しくなったり図書館がコロナの影響で閉館していたりで進んでおりませんでした「中国崩壊論検証シリーズ」。まだ一冊しか取り上げていないのにもう番外編かという感じですが、このシリーズに合わせて「中国人の本音は那辺にありや」ということで、中国人による中国論的なものもご紹介していこうと思います。
というのも、安全保障関係で手に取った、胡波『中国はなぜ「海洋大国」を目指すのか―「新常態」時代の海洋戦略』を読んでいたら、あまりに赤裸々に、しかもそれを誇示するつもりなくさらっと、筆者による中国の意図に関する解説があって、「うわあごまかす気ゼロやないですか」と思ったんですね。
また、過去にも、「なぜ中国は国際法を守らないのか」という疑問に対する答えを、中国出身の学者の方が開陳されており、アゴラでご紹介したことがありました。
ということもあり、客観的な中国論もいいけれど、中国人自身の気持ちも理解しつつ、「戦争や領土紛争でない形で、彼らのイキリが充足される方法」を模索できないか…という狙いをもって、この手の本を読んでみようということになりました。
中国崩壊論、中国批判論、中国包囲網を中国人であるところの各論者がどう受け止めていたのか、なども透けて見えるかなと思い、このカテゴリーにしています。
「国際社会はアンフェアだ!」
で、本書ですが、タイトル通り、執筆者の皆さんは大変不機嫌です。中国国内で、発売後3か月で100万部を突破したそうですが、共通しているのは「中国は不当に外圧をかけられている!」「なぜ西洋に許されたことが中国に許されないのか!」「100年前は世界に名だたる大国だったのだ!」「再び大国になる資格と能力が我々にはある!」「我々は大国になっても、アメリカのように資源を貪り食うような真似はしない!」「我々に環境問題で責任を取れというが、我々が資源を節約しても、その浮いた分を使うのは西洋のやつらじゃないか!」などの主張で、政治経済軍事どのジャンルでもこうした思いが織り込まれていました。
それでいながら、中国国内のエリートに対しては「腐敗まみれ」だとか「アメリカに憧れて中国人を差別する逆差別が横行」などかなり厳しい評価も飛び交っています。確かに以前、中国の若者がオバマに憧れている――とする記事を読んだことがありましたが、本書ではこうした「アメリカかぶれ」を、日本でいうところの「アメリカでは~といいがちな出羽守」以上に批判しています。
そして、それを補強するアメリカ側の人々に対する怒りも怒髪天を衝いております。
アメリカ人が中国で働くのは、アメリカで働くよりもはるかに快適である。なぜなら周囲には彼らにしっぽを振りたがる中国人がいくらでもいるからである。そのため自分たちには中国人を説教する資格があり、「アホどもめ、どうやって我々の機嫌を取るかもわからないのか」などと考えているのだ。
また、アメリカに限らず「西洋人」の人権派ぶった物言いには「お前が言うな」との思いしかわいてこない様子です。
もしも西側がオーストラリア、南北アメリカ、アフリカ、アジアから手を引くのであれば、我々もチベットを出ていこう。人徳や道徳についてあれこれ言い立てるのならば、自分たちがヨーロッパの故郷に帰ればいい。
まあ一理もないとは言えないというか、歴史の経過的に「早く大国になった国」はやりたい放題で、散々やってクタクタになった後に「みんなでルール決めて戦争が起きないようにしましょう」とか「人権が…」と言い出したわけで、「まだやりたい放題やり切ってないぞ」という国が不満を持つのもわからなくはない。しかしこれをアンフェアだとしてひっくり返せばたいへんなことになるので、残念ながら中国は「別の形」で世界の大国になることを目指した方がいいと思います。
「日本人ですら野心を抱いたのに…」
一方で面白いのが、歴史認識問題では全否定であるはずの、戦前日本に対してのポロっと書かれているこんな一文。
近現代史を俯瞰してみると、日本は100年足らずで軍事戦争も行い、経済革命も成し遂げた。日本人はあの狭い領土、少ない資源と人口にもかかわらず途方もない野心を抱いたというのに、果たして今の中国人にはその気がないのだろうか。……しかし我々は日本のようにはなれないだろう。まず、中国には心地よい農業社会が骨の髄までしみ込んでいたことが一因としてあげられる。そして工業化を実現しようとした矢先に、他国に虐げられたのも周知のとおりである。だから、この不公平な世界の秩序を変えたければ、真の大国としての自覚を持たなければならない。
結論としては「今の国際社会は不公平だ」という話になるのですが、戦前日本をこういう風にも見ているんだなという一面が垣間見えます。
「ハイテク化を推すのは時期尚早」?
意外だったのは、元海軍の宋暁軍が書いた「アメリカとのハイテク戦争」についての一文。今ではまさに「米中戦争」の核心にすらなっていますが、本書が出た08年ごろは違っていたんでしょうか。
要するに、米ソ冷戦は互いの軍事技術の張り合いであったが、「米ソの軍事技術は『古いキュウリ』で、アメリカは古キュウリにペンキを塗ったもの」でしかなかった。そのペンキとは、アメリカが過剰に強調するハイテク戦争のことである。中国は怒濤の勢いでハイテク化を推し進めたが、まだ機械化も済んでいないのにハイテク化を推すのはちょっと早すぎる。アメリカに乗せられている。我々はハイテク化戦争という神話を打ち破り、武器装備のみでない「持久戦を戦う勇気」も備えなければ――と書いています。
これは軍拡戦争を展開したことで破滅を速めたソビエトの二の舞になるなという意味を込めているのかもしれませんが、今見ると意外な感じがします。また「持久戦を戦う勇気」というのは愛国心や軍人の精神教育なのか定かではありませんでしたが、国家安全法などの法整備も含むのかもしれません。
というわけで、とにかく負のオーラが漂っており、サクサク読めるものでもなかったのですが、例の『超限戦』論文を否定する論調が載っていたりと、意外な指摘や、時間を経た今読むからこそ味わえる部分もあると思いますので、ご興味のある方はめくってみてはいかがでしょうか。
もちろん、中国にもいろいろな人がいる(アメリカかぶれもいる)わけで、これは中国の本音のごく一部、ではあるのですが。中国内部のさまざまな思想・立場に関しては次の本などもご参考に。
それにしても「不機嫌な中国」、あまりに率直な物言いに思わず笑ってしまう部分もありますよ。