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【あべ本#30】毎日新聞取材班『公文書危機』

破棄された文書を追って

本欄でも取り上げました「桜を見る会」に関する書籍『汚れた桜』に続いて二度目の登場、毎日新聞取材班による『公文書危機』。こちらも「桜を見る会」の名簿がすでに破棄されている件に対する疑問から始まっています。

本当にないのか、あるのに隠しているのか、いずれにせよ問題だというのは同感ではあり、私もある官公庁のイベントに関する議員の出席・欠席に関する情報が欲しくて関係者に記録がないのか問い合わせたことがありますが、「ない」との回答で驚いたことがありました。たった数年前のことなのにもう確認できないんですか、と。

また、以前にも書きましたが、どんな理由があれ軽微なものであれ「決裁文書を後から書き換える」なんてことはあってはならず、そうしたことが起きた以上、政権は政治家に責任を取らせなければならないし、官僚に対して再発防止を徹底しなければなりません。

こうした考えでおりますので、現政権に至るまでの日本政府の公文書管理の在り方を、長いレンジで眺めながら、一方で官僚の生の声も拾っている本書を興味深く読みました。

どこまでの記録を残すべきか

官僚の習性としては「なるべく文書や資料などは見つからないようにしておきたい」ものらしく、公文書の検索ができるデータベース上の文書名を検索に引っ掛からないようにとボヤっとしたものにしていた、という第二章のくだりには乾いた笑いも出てしまいました。涙ぐましいというか人間臭いといいますか。

しかし当然のことながら、そうしたデータベース上では「なるべくわからないように」されている文書も、各省庁ではすぐに取り出せるような形になっているんでしょうね。

また、公文書にしなくて済むようにメールにべたはりして関係職員にCCで送りまくるというケースも増えているとか。官僚としては「メールのやり取りなんて電話と一緒だから残す必要ない」という考えのようで、半分はわかるような気もするものの、「あえて残せないように、狙ってメールで送っている」ケースもあるでしょうから、後者に関しては何らかの線引きが必要になりそうです。

しかし一方で本書の言わんとしている「理想形」を追求すると、官僚は政治家のやり取り、職員同士のやり取りが「職務」に関する限り、スマホやガラケーのメール(Eメールにせよショートメールにせよ)まで残すべきではないか、という話になっており、逆にここまで戦線を拡大すると抵抗も大きいので、むしろ「最低限残すべき記録」は徹底すべしという戦略で行った方がいいのではないか、と思います。

例えば、「担当大臣にレクに行く場合、レク担当者に加えて『記録官』的な人も随行させ、大臣がどんな表情をしたか、どんな理由で情報を排除(受諾)したのか、なども記録すべきでは」という話も出てきますが、結局こういう資料を残すと決めたところで、「本当にそんな表情をしたのか」「そこに書かれている排除(受諾)の理由は本当か」という疑問が消えることはないわけです。「残すための記録」「見せるための記録」を作らせるだけになりかねません。

ただでさえ、残業200時間とか300時間といわれている霞が関官僚をさらに追い詰めてどうするのか…という点もあるでしょう。情報公開請求の乱発で、「非表示部分を人力でチェックする」職務に当たっている人たちの心身は限界だ、という話も聞きますし。

メディアに置き換えれば、いつ使われるともわからない取材の事細かな経緯や、上司の判断などなどをすべて記録して残しておき、ひとたび誤報や捏造報道が起きた場合には即座にそうした記録を開示してすべての経緯を明らかにせよ、といわれて、果たしてやるだろうか、本当に「生の記録を残し公開する」だろうか、ということでしょう。もちろん国の政治にかかわることと一私企業では違うということはありましょうが、不可能に近いことを求めるよりは最低ラインを守らせる方がいいのではないかという気がします。

願わくば、「きちんとした実態の記録を残しておくことが、政治家も官僚も国民も救う」というような政治・行政をやってもらいたいところです。

シュレッダー鳩山

面白いのは第三章。鳩山元総理の登場です。沖縄の基地問題に関し、自説を外務省から「米軍の訓練マニュアルに沿わないから」と却下された鳩山総理ですが、あとから米軍のマニュアルに当該文言がないことが分かったという話。とんでもない話ですよね。一国の総理が、官僚から嘘をつかれていたわけですから。鳩山氏は総理退任後「官僚たちは(総理である)自分以外の何かに忠誠を誓っていたようだ」との文言を自著か何かに残していましたが、これはとんでもない裏切り行為です。

話は、鳩山元総理が手元に残していたこのレク資料が、外務省に残っていないという話に至り、さらに「ほかにもあった連日大量に持ち込まれるレク資料はどうなったのか」という話に及びます。鳩山元総理はきちんとファイリングして取っておいたにもかかわらず、なんと総理退任が決まって、むしゃくしゃして捨ててしまった(一人でシュレッダーをかけた)という!

一方、そのあとに登場する福田元総理は資料も、自分のメモもきっちり取ってあるそうで、何やら性格が出るような感じがしますが、そもそも「全捨てなのか残すのか」というルールがなく、総理個人に任されているというのが実際のところのようです。

「わたし」って誰だ

さて、面白い本だったので些細なことは指摘しなくてもいいのかもしれませんが、本書、「毎日新聞取材班・著」となっているのに、何の説明もなく本文の書き手の一人称が「わたし」となっていて、「お前誰やねん」と壮大に突っ込まざるを得ませんでした。

あとがきを見たら取材班の一人である大場弘行記者が代表として執筆したそうで「わたし=大場」ということのようですが、こういう説明はぜひ序章か本章の冒頭で行っていただきたいと思った次第であります。

なお、「わたしって誰だ」の見出しは「KYサンゴ」記事を踏襲したものです。


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梶井彩子
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