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《世界史》狂女王フアナ

こんにちは。
Ayaです。
今日から3回に分けて、スペインのハプスブルグ王室についてまとめます。
第1回はハプスブルグ家がスペイン王室に入ったきかっけ、カルロス1世の母フアナについてです。

フアナ(1479〜1555)

フアナは1479年、カトリック両王として有名なフェルナンド2世とイザベル1世との間に生まれました。
当時スペイン王国は彼女の両親が結婚したことにより成立していましたが、父はアラゴン王国、母はカスティーリャ王国を別々に統治している複雑な状態でした。このことがフアナの生涯に影響を与えるのです。

フアナ
両親の次女として生まれる。大人しく読書を好む性格だった。
フェルナンド2世
フアナの父でアラゴン国王。狡猾な性格で、妻の臣下には嫌われていた。
イザベル1世
フアナの母にしてカステーリャ女王。レコンキスタ政策やコロンブスへの支援で有名。子どもにはフアナのほかにカタリナ(ヘンリー8世の最初の妃)などがいる。

1496年、フアナの結婚が行われます。相手はハプスブルグ家マキシミリアン1世の息子・ブルゴーニュ大公フィリップでした。これはフアナの兄フアンとフィリップの妹マルグリットの結婚も行われる二重結婚でした。
フアナと初対面したフィリップは今までみたことないタイプの彼女に惹かれ、フアナも金髪碧眼の美男のフィリップに一目惚れしました。正式な結婚式はまだでしたが、その場にいた司祭に式を行わせて、そのまま一夜を過ごす熱愛ぶりでした。

ブルゴーニュ大公フィリップ
マキシミリアン1世とブルゴーニュ女公マリアの息子。美男だったので、美公とも呼ばれる。しかし、その女性関係はフアナを狂わせる。

2人は仲睦まじい夫婦生活を送りますが、次第にフィリップの浮気癖があらわになってきます。敬虔なカトリックであり夫を熱愛していたフアナはこれを許せず、ヒステリックに夫や浮気相手を詰るのでした。夫のフィリップはそんなフアナを持て余し始めます。
そんなとき、実家カステーリャ王室から呼び戻されます。フアナの兄フアンが若くして亡くなったり、姉と姉の息子も亡くなったので、後継者にフアナが指名されたのです。
2人ともスペインに向かいますが、フィリップはスペインの厳格な文化になじまず、妊娠中のフアナを置いてすぐブルゴーニュに帰ってしまいます。フアナは浮気されているのではと気が気でなく、出産を済ませると追いかけて帰国します。
帰国するとやはりフィリップは浮気をしていました。激昂したフアナは浮気相手の髪を切り落とし、錯乱の態になってしまいます。怒ったフィリップはフアナを牢屋にいれますが、フアナの怒りは治りませんでした。
一方、病の床のイザベル女王は憂慮していました。娘フアナがあまりに直情で行動し、その姿は狂女として有名だった自身の母に似ていたからでした。なので、イザベル女王は『カステーリャ王位はフアナに継承されるが、フアナが亡くなるもしくは政務ができない状態になった場合、夫フェルナンドの摂政のもと孫カルロス(後のカルロス1世)に継承される』と言う遺言を残し、亡くなりました。

ロサレス『遺言をのこすイザベル女王』

イザベル女王崩御を受けて、フアナ夫婦はスペインに戻ります。フィリップはフアナの共同統治王になりたがりましたが、議会は王の配偶者としてしか認めませんでした。これに不服をいだいたフィリップでしたが、その野心はフアナの父フェルナンドに伝わります。フェルナンドは再婚し、後妻との間にこどもをもうけ、その子に継承させようと画策します。狡猾なフェルナンドを嫌い、軽薄なフィリップを担ごうとする貴族たちの思惑もあり、宮廷は不穏な雰囲気が広がります。夫と父の対立に神経を削られたフアナの精神状態は日に日に悪化するのでした。
そんななか、フィリップが突然倒れます。フアナは懸命に看病し、フィリップも日頃の態度を改めてフアナを離したがりませんでした。しかし、フィリップは亡くなってしまいます。フアナの精神が完全に崩壊してしまった瞬間でした。
フィリップの死を受け入れられず、遺体をいれた棺桶と放浪の旅に出るのです。フィリップが蘇るのを期待したか、墓所グラナダを目指したとされるこの旅は数年に及びました。

プラディーリャ『狂女フアナ』

父フェルナンドはフアナをトルデジリャスに幽閉してしまいます。これから亡くなるまで40年以上幽閉され続けることになるのです。幽閉されてもなお、フアナは署名のさいには『我、女王』とサインする矜恃を持ち続けました。

幽閉中のフアナ女王


息子のカルロス1世はブルゴーニュの叔母のもとで立派に成人しました。スペインに帰国すると、フアナに面会しますが、フアナは息子に興味を示しません。ブルゴーニュで産んだこどもたちには無関心でしたが、末娘カタリナだけは手放しませんでした。
しかし、カルロスは諦めませんでした。フアナを共同統治王としつづけたことや、フアナの孫にあたる自身の息子や兄弟の娘たちを面会させるなどに母に対する愛を感じます。
1555年フアナは亡くなります。享年75歳でした。
カルロスは母の死に衝撃を受け、スペイン王位は息子フェリペ2世に、神聖ローマ帝国皇帝位は弟のフェルナンドに譲り、隠棲してしまいます。3年後、カルロスは亡くなります。享年58歳でした。

狂女王フアナ、まとめました。夫や父に振り回された感が強いですね。
昔、彼女を取り上げた映画を見たのですが、浮気相手の髪を切るシーンがホラーでした‥。フィリップの肖像画見て、そんなにいい男なんかいって思ってしまうんですが、私だけですかね‥。






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