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《世界史》混迷の時代

こんにちは。
Ayaです。
アメリカ史最終回の今回は『混迷の時代』をとりあげます。

ソ連解体によって、アメリカは世界一の超大国となりました。しかし、平和は続かず、テロとの戦いに明け暮れることとなるのです。

アメリカ同時多発テロ事件(2001.9.11)

2001年9月11日、早朝。ニューヨーク・マンハッタンにあるワールド・トレード・センターはいつもの朝を迎えていました。午前8時46分、爆音とともに旅客機がワールド・トレード・センター北棟に衝突します。旅客機は燃料を満タンにしていたため、すぐ発火になりました。人々は恐怖でパニックになり、騒然となります。
午前9時02分、今度はワールド・トレードセンター南棟に旅客機が衝突しました。すでに北棟に衝突していたため、全米中に中継されました。一般国民もこれは事故ではなく、故意に起こされたテロであると認識しました。

ワールド・トレード・センター南棟に衝突した瞬間

実はこれらの旅客機はハイジャクされたものであり、もう2機ありました。3機目はアメリカ国防省(通称ペンタゴン)が標的、4機目は乗客の抵抗にあって途中で墜落しため標的はわかりませんが、ホワイトハウスか連邦議事堂だったといわれています。
警察官や消防官が救助にかけつけましたが、2つのビルの寿命はごくわずかでした。衝突された階以上にいた人々は閉じ込められ、煙から逃れようと窓から身を乗り出し墜落死した人もいました。午前10時頃北棟より損傷の激しかった南棟が先に崩壊、北棟も崩れ、人々はあまりの事態に唖然となりました。アメリア本土への攻撃は真珠湾以来であり、ワールド・トレード・センターの死者は2763名にも及びました。
アメリカ政府はテロ組織アルカーイダの犯行と断定しました。

アルカーイダ

アルカーイダはウサーマ・ビンラーディンが設立した過激派テロ組織です。ビンラーディンは1957年サウジアラビアの建設会社を営む家庭に生まれます。ビンラーディンの父は大手建設会社を一代でつくりあげた成功者で、ビンラーディン自身にも2億円の資産が与えられていました。大学では土木を学んでいましたが、敬虔なスンナ派を信仰していたことで、次第に過激思想に陶酔していきます。
1979年ソ連がアフガニスタンに侵攻します。当時王家への不満が溜まっていたサウジアラビアでは、共産主義からイスラム教徒を救うジハード(聖戦)として宣伝していました。実際に巨額の支援を行っていたのはソ連の影響力拡大を阻止したいアメリカでしが、ビンラーディンも志願兵として従軍します。帰国後、アメリカとさらに親密な関係になっていたサウジアラビア政府に絶望し、1988年アルカーイダを設立。アメリカ軍の駐屯をやめさせようとサウジアラビア王家に直談判しますが、アメリカから莫大なオイルマネーを得ていた王家は当然ながら拒否。アフガニスタンやスーダンで逃亡生活を送りながら、数々のテロを行っていきます。1993年にビンラーディンと関係のあったテロリストがワールド・トレード・センターの地下駐車場で爆破事件を起こしているので、すでにターゲットとなっていたのでしょう。

ウサーマ・ビンラーディン

アフガニスタン紛争(2001〜2021)からイラク戦争(2003〜2011)

ジョージ・W・ブッシュ大統領はアルカーイダにアジトを提供していたアフガニスタンにビンラーディンの引き渡しを求めました。当時のアフガニスタンはイスラム過激派のターリーバンが支配しており、ビンラーディンの犯行と断定したわけではないと拒否しました。ブッシュ大統領は『対テロ戦争』を標榜し、アメリカ軍やNATO軍で結成された有志連合はアフガニスタンに侵攻します。圧倒的な戦力差にアフガニスタン側は敗北、ターリーバン政権は崩壊しました。ビンラーディンはパキスタンに逃亡してしまいます。ターリーバン側の抵抗は激しく、国連は暫定政権を成立させましたが、その権力は安定しませんでした。
まだ紛争は続いていましたが、ブッシュ大統領は次の手を打ちます。
翌年、ブッシュ大統領はイラクを『悪の枢軸国』として公然と批判しました。イラクは1979年からサッダーム・フセインが独裁政権をひいており、隣国への侵攻も度々行っていました。その彼が同時多発テロを「アメリカがこれまで犯してきた人道への犯罪に対する結果だ」と語ったというのです。アメリカ側の調査で制裁で禁じられていた『大量破壊兵器』の保有疑惑が浮上し、2003年開戦に踏み切ります。アメリカと協調したのはイギリスと日本のみで、フランスやドイツ、ロシア、中国の反対を押し切っての開戦でした。イラクは空爆程度だろうと構えていましたが、アメリカは陸上部隊も派兵し、フセイン政権は瓦解。アメリカの傀儡政権を樹立、12月にはフセインを逮捕します。

逮捕直後のフセイン
小説や詩を書くのが趣味だった。裁判ではアルカイーダとの関係を否定している。

しかし、肝心の『大量破壊兵器』は見つかりませんでした。開戦を正当化するための工作だったのです。相次ぐ戦争に嫌気が差していた国民はこの事実に激怒し、ブッシュ大統領の支持率は急降下します。2006年にはフセインが処刑され、2011年当時のオバマ大統領が戦争終結を宣言しました。しかし、同年のアラブの春でISIL(イスラム国)との戦いに苦しめられることとなります。ISILはアルカイーダよりさらに過激派として知られ、シリア・イラク両国の一部を占拠し『カリフ国家』を自称していました。その勢いは侮れないもので、アメリカは再び派兵することになりました。ISILは崩壊しましたが、2022年現在もイラク軍支援のためアメリカ軍は駐屯しています。

ISIL
たくみにプロパガンダ戦略を行い、世界各地から戦闘員を集めていた。フセイン政権にいた者たちの関与が疑われている。

そもそもの元凶であるビンラーディンは2011年アメリカの特殊部隊によって殺害されています。その息子も2019年殺害が公表されました。
アフガニスタンではターリーバンが勢力を吹き返し、アメリカ軍が撤退した2021年政権を奪回しました。前回のターリーバン政権ではコーランを厳格に解釈して女性の権利を弾圧しており、国際社会から批判を浴びていました。この反省で、今回のターリーバン政権は女性の権利を認めると発表しました。しかし、実際には女性の学校が閉鎖されたという報告が相次いでおり、未だに国際社会から経済制裁を受けています。

ターリーバンの監視を逃れて学ぶ女性たち

2000年代を『対テロ戦争』に費やしたアメリカでは、国力を消耗しました。国民の不満に目をつけ、ドナルド・トランプは『アメリカ・ファースト』を標榜、2017年大統領に就任します。2021年現在のジョン・バイデン大統領に交代しましたが、トランプ元大統領の人気はあなどれません。
その上、『世界のアメリカ』の権威失墜はロシアや中国の強硬な態度を招くこととなりました。アジア随一のアメリカ友好国として、日本がどのように振る舞うべきなのか考える必要があります。

アメリカ史最終回、終わりました〜。アラブの春やISILについてはもっと詳しく取り上げる機会をとりたいと思っております。フセインは独裁政権をひいていましたが、いわば『パンドラの函』だったのではないかと思います。アメリカの侵攻でフセイン政権を倒したことで、各地の宗派や民族の対立が激化してしまいました。
近年アメリカをはじめとする自由主義陣営の対応が問われている時だと思います。一刻もはやく平和な世界が訪れてほしいです。イスラム社会については詳しくないので、まだまだ勉強が必要です。
次回は『ハリウッドのスターたち』を取り上げます。

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