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《世界史》ピョートル大帝と姉ソフィア

こんにちは。
Ayaです。
今日からしばらくロシアについてとりあげます。多分注だらけになりますが、よろしくお願いします。
イヴァン雷帝のリューリク朝末のゴタゴタのなか、1613年弱冠16歳のミハイル・ロマノフが即位しました。ミハイルは混乱した国内をまとめ上げます。その息子アレクセイ・ミハイロヴィッチは教会の権限を縮小させる改革を断行します。その一方で、彼は前妻と後妻それぞれに子どもたちをもうけていたため、彼の崩御後皇位継承争いをもたらします。

ロシア初の女性統治者 ソフィア(1657〜1704)

最初は前妻の子フョードル3世が即位しましたが、子どもをもうける前に亡くなってしまいます。そこで後妻の実家がピョートル大帝を擁立しますが、前妻の実家が巻き返しをはかり、イヴァン5世を擁立します。結局前妻の実家が勝利して、ピョートル大帝は名ばかりの共同統治者とされてしまいます。しかし、イヴァン5世は体が弱く、実権を握ったのはその姉ソフィアでした。
ソフィアは1657年アレクセイ・ミハイロヴィッチと前妻の間に生まれます。当時ロシアは後進国で外国との縁組は難しく、かと言って臣下と結婚させるわけにはいかないので、皇女たちはなかなか結婚できませんでした。彼女たちには修道院に入るか、宮廷の片隅でひっそりと生きるかしか選択肢がありませんでした。そんな中、彼女は弟たちとともに勉学に励みます。

ソフィア
後の女性統治者の先駆けとなる。


弟イヴァン5世が擁立されると、母の実家と組んで、異母弟ピョートル大帝と彼の後ろ盾を失脚させます。西洋的な知識を取り入れ、モスクワの整備などに力を尽くします。しかし、クリミア半島への制圧に失敗し、求心力を失います。
人々の期待は僻地で幽閉されていたピョートル大帝に向かいます。もはや人望を取り戻すのが不可能と判断したソフィアは家臣団をピョートル大帝に引き渡し、自らは修道院に入ります。

ピョートル大帝(1682〜1725)

ピョートル大帝は1682年アレクセイ・ミハイロヴィッチと後妻の間に生まれました。幼い時から前妻と後妻の実家同士の権力争いに巻き込まれます。長じると、2メートル超の大男となりますが、幽閉されていたためか狭い部屋を好んだという逸話があります。
さて、異母姉ソフィアから実権を奪還して体制が整ってきたころ、ピョートル大帝はヨーロッパ視察を思い立ちます。廷臣らは国を離れることを反対しましたが、本人たっての希望で強行します。
このヨーロッパ視察では自身はピョートル・ミハイロフという偽名で参加しますが、2メートル超の大男だということは知れ渡っていたので、正体はバレていました。本人は全く気にせず、オランダのアムステルダムでは船大工として造船技術を学びます。しかし、この視察は途中で打ち切ることとなります。地元ロシアで反乱が起こったからでした。
この反乱はすぐ鎮圧されましたが、ピョートル大帝は異母姉ソフィアの関与を疑いました。証拠は出ませんでしたが、ピョートル大帝は思い込み、部下たちにソフィアを修道女にさせることを命じます。本稿のトップ画はレーピン作ですが、その部下たちが幽閉されているソフィアの部屋を訪れたシーンを描いています。彼女の幽閉されている部屋の窓には、反乱の指導者の死体がくくりつけられています。勿論、ピョートル大帝による嫌がらせです。彼女とピョートル大帝の部下たちの間でどんな会話が交わされたのか記録はありませんが、彼女は修道女にされ、6年後亡くなりました。

窓の外に反乱指導者の死体

さて、宿敵ソフィアを葬ったピョートル大帝は、ヨーロッパで学んできた先進的な改革を実行に移します。
一番の事業がサンクトペテルブルクへの遷都でしょう。
ルイ14世のヴェルサイユ宮殿造成よりは遅い着工ですが、規模の大きい事業でした。ルイ14世と同じく、幼少時のトラウマから着工したと言われていますが、この後ロシア革命まで首都とされたので、その都市計画の規模の大きさが分かります。

ピョートル大帝
ヨーロッパ視察で学んだ先進的科学を取り入れた統治を行う。


一方で、ピョートル大帝らしい強烈なエピソードが残ってます。
まず、貴族たちにヒゲを剃らせるためにヒゲ税を制定しました。当時ロシアではヒゲは天国に行くために必要なものとされていたので、ヒゲ税を納めて剃らない者も多かったようです。ピョートル大帝は痺れをきらし、みずからハサミで貴族たちのヒゲを剃りました。逃げ回った貴族たちですが、剃られてみると意外にラクということがわかり、ヒゲのない宮廷生活が定着します。
一方で、迷惑でしかなかったのが、抜歯でした。ピョートル大帝はヨーロッパで抜歯技術を学んできたと言い張っており(多分学んだとしても初歩的な内容でしょう)、廷臣たちに口を開けさせて、自分で虫歯だと判断したものは勝手に抜いてしまいました。抜歯だけでなく外科手術もしたかったようですが、廷臣たちは恐ろしいので、逃げ回っていたとのことです。

ピョートル大帝と妻子たち

強烈な逸話を紹介したところで、ピョートル大帝の妻子たちについてまとめます。
ピョートル大帝は即位当初、有力貴族の娘と結婚していました。息子アレクセイをもうけましたが、この妻が気に入らず、修道院に幽閉してします。
その後、元娼婦のエカチェリーナと再婚して、アンナとエリザヴェータの姉妹をもうけていました。
息子アレクセイが有力な後継者でしたが、母方の影響か保守的な考えが強く、ピョートル大帝に嫌われていました。立場を失ったアレクセイはウィーンに亡命しますが、ピョートル大帝の部下に追いつかれて、連れ戻されてしまいます。その後アレクセイは獄中で病死しましたが、ピョートル大帝による毒殺が噂されました。

ピョートル大帝と息子アレクセイ
連れ戻したアレクセイに詰め寄るピョートル大帝

イヴァン雷帝のように息子を亡くしてしまったピョートル大帝ですが、後継者を指名せず、1724年崩御します。享年53歳。体調を崩したきっかけはみずから人命救助のために川に飛び込んだことだったというので、最後まで豪快な人生でした。

エカチェリーナ1世(1684〜1727)

ピョートル大帝の死後、妃のエカチェリーナが即位しました。
彼女はもともと農民の娘で、戦乱に巻き込まれて、捕虜となってしまいます。このときに売春をさせられたと言われています。ロシア正教会に改宗し、ピョートル大帝の寵臣メーンシコフに囲われます。このメーンシコフに紹介され、ピョートル大帝に出会います。ピョートル大帝は彼女を気に入り、エカチェリーナと名前を改めさせて、正式な妻となります。二人の間には12人の子どもたちが生まれましたが、育ったのはアンナとエリザヴェータの二人の娘だけでした。
ピョートル大帝の死後は、元愛人のメーンシコフが実務をとりしきり、エカチェリーナは皇帝として即位しました。
しかし、彼女の治世はわずか2年で終わってしまいます。享年43歳。当時未婚だった娘のエリザヴェータに譲るつもりでしたが、それはできませんでした。

エカチェリーナ1世
ロシア史上初の女帝。農民の娘から皇后、女帝となる。


雌伏のとき

エカチェリーナ1世が亡くなると、ピョートル大帝の息子アレクセイの子ピョートル2世が即位しますが、天然痘で崩御してしまいます。
やっとピョートル大帝の娘エリザヴェータの出番かとなりそうでしたが、なりませんでした。
ピョートル2世の死後、アンナという女性が即位します。彼女はピョートル大帝の異母兄イヴァン5世(つまりソフィアの同母弟)の娘で、存在も忘れ去られていました。ドイツにいた彼女は大貴族たちの傀儡となることを承知してロシアにきましたが、即位したとたん約束を反故にします。ドイツから連れてきた者たちを重用したのですこぶる人気が低く、エリザヴェータに人望が集まりました。
エリザヴェータは謙虚に振る舞っていましたが、アンナは絶対に彼女に帝位を渡したくありませんでした。そこで生まれたばかりの自分の妹の孫を後継者に指名します。赤子の彼はアンナの崩御後イヴァン6世として即位しますが、勿論無力な存在でした。エリザヴェータはやっと腰をあげ、イヴァン6世とその外戚を失脚させ、即位します。エリザヴェータ1世の誕生です。彼女の即位によって、ゾフィー(後のエカチェリーナ2世)の運命も変わります。
イヴァン6世はその後20年以上幽閉され、救出の動きがあったため、看守に刺殺されてしまいます。物心ついたころから幽閉された彼はすでに発狂していたとも言われますが、なんのための人生だったのでしょうか。

今日はここまでとします。ピョートル大帝と渡り合ったソフィア、すごすぎますね。ピョートル大帝はさすがというか、豪快なエピソードがたくさんあります。ルイ14世も全部の歯を抜歯してたらしいので、彼らは歯に思い入れが強かったのでしょうか。抜歯された臣下たち、可哀想‥。
次はいよいよエカチェリーナ2世の登場です。彼女もキャラ濃いめの人物なので、まとめるの大変ですが、頑張ります!

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