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《世界史》エリザベス2世

こんにちは。
Ayaです。
父の崩御によって、即位したエリザベス2世。その在位は現在まで続きます。

エリザベス2世(1926〜2022)

エリザベス2世は1926年ジョージ6世の長女として生まれました。4歳年下の妹マーガレットも生まれ、動物好きな少女として育ちます。
しかし、伯父エドワード8世の退位によって、運命が変わります。父ジョージ6世が即位し、その王位継承権第一位となるのです。あまりの重圧に弟が生まれることを願ったといわれています。
第二次世界大戦が勃発すると、母后の意向で疎開せずに過ごします。14歳でのラジオ演説を皮切りに、公務にも取り組みます。
1945年には英国女子国防軍に入隊し、軍用トラックの運転に従事します。当時王族の女性が軍に入るのは異例のことでした。このとき特別扱いされずに一兵士として扱われたことに感激したそうです。

英国女子国防隊のエリザベス2世


終戦時には妹とともに身元を隠して、ロンドンの歓声に混じって、夜通し遊んだという逸話が残っています。
1947年にはギリシャの元王族で海軍軍人であるフィリップと結婚します。この結婚はフィリップは財産もなく、姉の葬儀がナチスによって行われたことから、あまりよく思われていませんでした。結婚式の衣装には配給品の絹が使用され、フィリップの姉たちや伯父エドワードを招待しないなどの配慮をしました。フィリップにはエディンバラ公という称号が与えられました。

結婚式のエリザベス2世夫妻
全国から絹の配給券が送られたが、手紙と共に送り返している。


長男チャールズや長女アンを出産後も、父の代理として公務をこなしていきます。
1952年外遊中に父ジョージ6世が崩御し、即位します。翌年の戴冠式はテレビ中継され、イギリスのテレビ普及率が上がったと言われています。

戴冠式のエリザベス2世

戦後、大英帝国はなくなって、構成国はコモンウェルズという緩いつながりになってしまいました。エリザベス2世は各国を平等に扱い、このつながりの維持に尽力しています。
70年以上の在位しているエリザベス2世ですが、父と同じく、身内のスキャンダルに悩まされています。

マーガレット王女(1930〜2002)

マーガレット王女は1930年ジョージ6世夫妻の次女として生まれます。姉エリザベスは落ち着いた性格でしたが、マーガレットは自由奔放な性格に成長します。

エリザベス2世の妹 マーガレット王女


14歳で、運命の相手タウンゼット大佐に出会います。16歳年上で離婚歴のあった彼との関係は長年秘密とされましたが、姉エリザベス2世の戴冠式で仲睦まじい姿をマスコミに暴露されてしまいます。
まだ伯父エドワード8世の退位の記憶が鮮明で、王室や政府は認めませんでした。同情していたのは二人の馴れ初めを知るエリザベス2世のみでした。マーガレットは泣く泣くタウンゼット大佐と別れます。
タウンゼット大佐と別れた後、さまざまな男性と浮名を流し、写真家のアンソニー・アームストロング=ジョーンズと結婚します。彼はスノードン伯爵とされました。マーガレットをモデルにした写真も発表しましたが、夫婦仲は冷めきり、お互いに愛人を持つようになります。一男一女をもうけましたが、1978年離婚してしまいます。

マーガレットとスノードン伯爵


ダイアナ元皇太子妃(1961〜1997)

妹マーガレットがなんとか落ち着きを取り戻し、胸を撫で下ろしたエリザベス2世。隙間風が吹いていた夫エディンバラ公との仲も回復し、アンドリューとエドワードを出産します。しかし、公務が忙しく、子どもたちにかまうことができませんでした。
長男チャールズは長年カミラ・シャンドと交際していましたが、いつまでもプロポーズをせず、カミラはボウルズという男性と結婚してしまいます。しかし、カミラの結婚後も交際を継続していたため、正式な妃選びが急がれました。こうして選ばれたのが、ダイアナ・スペンサーでした。
ダイアナは1961年有名貴族スペンサー家に生まれました。しかし、両親が生後すぐ離婚するなど不遇な幼少期を過ごします。
チャールズと出会ったのは、当時交際中だった姉の紹介がきっかけでした。すでに30代となっていたチャールズは結婚に焦っていて、姉から断られた後ダイアナと交際します。ダイアナもチャールズとカミラの関係は知っていましたが、結婚したら別れてくれるだろうとの思いから1981年結婚します。結婚式は全世界に中継され、7億人もの人々が見たと言われています。

チャールズとダイアナの結婚式

世界中から祝福された結婚ですが、長く続きませんでした。ウィリアムとヘンリーが生まれますが、チャールズはカミラとの関係を継続していたのです。ダイアナの美貌で自身の存在感が薄れてしまうことも気に入らなかったと言われています。ダイアナは精神的に追い詰められ、拒食症を発症、当てつけで浮気します。1995年ついにインタビューでチャールズとカミラの関係や自身の不倫について暴露してしまいます。エリザベス2世はダイアナに同情していましたが、この行為に激怒、二人を離婚させます。
離婚後もさまざまなチャリティー活動を継続していましたが、1997年交際相手とともに事故死します。享年36歳。運転手の飲酒運転による事故とされましたが、あまりにも不自然な事故でした。イギリス中が悲しみにくれます。バッキンガム宮殿の前は献花であふれ、人々はエリザベス2世の言葉を待ちました。

国民からの献花に埋もれるバッキンガム宮殿前

当初、エリザベス2世は何もしませんでした。ダイアナは元皇太子妃であったこともありますが、やはりインタビューの件を怒っていたのでしょう。国民から怒りの声が伝わってきて、首相からの説得もあり、声明を発表します。長い彼女の即位期間で最も人気が低迷した時期でした。ダイアナの葬儀は準国葬で営まれました。
ダイアナの死から8年後、チャールズはカミラと結婚しました。出会いから30年たっていました。ダイアナのこともあり、カミラには皇太子妃の称号は与えられませんでした。
ダイアナの長男ウィリアムは学生時代からの友人キャサリン妃と結婚、次男ヘンリーは女優のメーガンと結婚しました。

ヘンリー王子とメーガン妃の結婚記念写真

妹や母・夫の死、ヘンリー王子夫妻の王室離脱、アンドリュー王子の性的スキャンダルなど様々な困難を乗り越え、2022年エリザベス2世は即位70周年プラチナ・ジュペリーを迎えました。その絶大な人気は今なお衰えません。

現在のエリザベス2世までまとめました!マーガレット王女、伯父さんのせいでかわいそうなことに‥。脳卒中で倒れたときもタウンゼット大佐の死を知ったからだと言われたようです。生涯忘れられない人だったのでしょう。
それに比べて、アメリカ人で離婚歴・子持ちのメーガンとの結婚が認められたヘンリー王子は幸せだと思うのですが‥。そうはいかなかったのでしょうか‥。

次回はどうでもいい話を更新予定です!
※追記※
2022年9月8日エリザベス2世が崩御しました。享年96歳。ご冥福をお祈りいたします。

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