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《世界史》黒衣の国母カトリーヌ
こんにちは。
Ayaです。
今回はカトリーヌ・ド・メディシスが実権を握ってから、ヴァロワ朝断絶までまとめたいと思います。
シャルル9世(1550~1574)
次男シャルルが即位したことからカトリーヌは実権を握りますが、王国は問題を抱えていました。
カトリックとユグノーの宗教対立です。ユグノーはフランスのカルヴァン派の総称で主に商工業者などで構成されていましたが、一部の貴族たちも改宗し、その勢力はあなどれませんでした。それだけでなく、カトリック派とも武力衝突を起こすようになります。フランソワ2世の治世ではギーズ家のために弾圧されていましたが、カトリーヌは共存しようと努力します。
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ユグノーの指導者コリニー提督を『父上』と呼び、敬愛していた。
この政治的な解決として、ユグノーの代表的存在ナバラ国王アンリと王妹マルグリットの結婚が決定されます。
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王妃マルゴで有名。ギーズ公アンリと交際していたが、結婚を渋ったが強制的に結婚させられる。
この結婚式を祝うため、指導者コリニー提督をはじめ、国中からユグノーが集まります。結婚式は1572年8月18日に行われ、祝賀ムードとなりましたが、暗転します。
8月22日、コリニー提督が襲われ、重傷を負います。シャルル9世はコリニー提督を見舞い、犯人の検挙を約束します。
しかし、話は真逆に進みます。シャルル9世はユグノーの虐殺を命じるのです。
これはカトリーヌの意向が働いたと言われています。カトリーヌは実母である自分よりも、シャルル9世がコリニー提督の助言を聞くようになっていたのを苦々しく思っていました。その影響でシャルル9世は当時スペインからの独立戦争を戦っていたオランダへの援助を計画していましたが、これはスペインとの全面戦争を招きかねません。カトリーヌはこのことを憂慮していたのです。元々激昂しやすい性格だったシャルル9世にコリニー提督殺害を教唆したと言われています。
8月24日、ギーズ公の家臣によってコリニー提督は暗殺されます。それだけでなく、ユグノーの報復を恐れ、他のユグノーにも刃が向かいます。民衆もユグノーを苦々しく思っていたので、この殺戮に加わります。よにいう『サン=バルテルミの虐殺』です。
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殺戮は無関係なカトリックの人々にも及んだ。パリだけでなく、地方にも広がり、犠牲者は1万人以上といわれている。
ナバル王アンリはカトリックに改宗し、カトリック派が権勢を取り戻したように見えました。
しかし、シャルル9世はサン=バルテルミの罪悪感に苛まれながら、事件から2年後崩御するのです。最後の言葉は『ああ、母上‥』でした。
アンリ3世(1551〜1589)
シャルル9世のあとは、三男アンリが即位しました。彼はカトリーヌ最愛の息子でした。しかし、パリから逃走しプロテスタントに改宗したナバル王アンリが再び力を取り戻しつつあったのです。
アンリ3世は同じカトリックのギーズ公アンリと共闘していました。しかし、和平を望むアンリ3世をギーズ公アンリは弱腰ととり、王権を制限しようとします。これに怒ったアンリ3世はギーズ公アンリを暗殺します。
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これを知ったカトリーヌはアンリ3世の行動に絶望したと言われています。
1589年、カトリーヌは亡くなります。享年69歳でした。
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妃もいたが、男性の寵臣と過ごすことが多く、女装もした。
母を失い、アンリ3世の命運も尽きます。半年後、過激派の修道士に襲われたのです。
こどももなく、末弟のフランソワも亡くなっていたため、義理の弟ナバル王アンリを後継に指名して、息を引きとります。
これでヴァロワ朝は250年の歴史を閉じ、ブルボン朝が始まるのです。
とても長くなってしまいました。今までで一番まとめるのが難しかった‥(三アンリのところとか狂うかと思ったよ泣)
カトリーヌがどれほどサン=バルテルミの虐殺に関与していたかは研究者でも議論が分かれているそうです。私は今回佐藤賢一著の『ヴァロワ朝』を読み返し、コリニー提督暗殺には関わっているだろうという結論にいたったので、そのようにまとめました。
最後に、アンリ3世妃のルイーズについて。ルイーズはアンリ3世が片想いしていた女性に似ていたので妃に選ばれたのですが、夫の存命中はろくに相手もしてもらえず、夫の死後寂しく亡くなりました。その幽霊がシュノンソー城(ディアーヌとカトリーヌが取り合った本稿トップ画)に出るそうですよ‥。
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次はイギリスのスチュアート朝か、スペイン王家かで迷ってます‥。