『母親なんだから』と言われて感じたこと
最近、妹や夫に言われてふとひっかかった言葉
『母親になるんだからしっかりしてよ』
ある相談をしたらこう決まった言葉を立て続けに言われた日が続きました
妹は近しい親族だししっかりしてよねお姉ちゃんと思ってくれての言葉だろうし、夫は同じ親になるのだから責任感と覚悟を持ってくれの言葉だと思います
ただその一言を言われた瞬間、目の前のシャッターを突然下ろされた気持ちになってしまいました
『そっかそうだよね』で私は何も言えなくなってしまい
口を閉ざしました
相手は悪気があった訳ではないし、私を思っての言葉だというのもわかるエールだろう
きっと、小さい頃に散々言われた
お姉ちゃんなんだからしっかりしてよという言葉を思い出してしまったのです
『そうあなたはお姉ちゃんなんだから弱音なんかダメよ』
でも、それを言われてしまうと何も言えなくなってしまう、子供を宿した瞬間から、
『はいあなたは親としての責任を持っていてくださいね』と立派なスローガンと選挙公約を掲げて、当たり前に強く大きな存在ではいなきゃいけないんだと思わざるを得ない
そうか。常に母親としていなきゃいけないし、弱音を吐きづらい、子供にとって安心できる場所でいなきゃいけないのだろう
気にしない人もいる。
受け流せる人もいる。
でも私はその言葉に対してひっかかった人間である。
(だからこの記事は私のストレス発散だと
前以てお伝えいたします)
生むことや育てることに不安に感じれば
『親になるんでしょ?しっかりしてよ』
子育てにストレスを感じれば
『子供を生んだくせにわがままいうなよ。子供がかわいそうだ』
外で働きたい保育園に入れたいと思えば
『子供がかわいそうだ。ちゃんとそばで見てあげなさいよ。』
きっと、マイナスなことを呟いたり、話せば
責任感ねーぞしっかりしろよ
その一言で潰されてしまうのではないでしょうか
だから、個人的な感情を前に出して話せば
前述のようなことを言われてしまうのである
みんながみんな強くないし、
みんながみんなはじめから責任感が持てるかといえばそうではない人もいる
じゃあ宿してすぐ母性が出る人もいれば
生まれてめまぐるしい日々を過ごして
やっと落ち着いてきて、
我が子に初めて母性を感じる人だっている
成果がある訳でも、正解がない子育てだから不安と何かの答え合わせが見つかって初めてこれでよかったと信じるしかないのだ
まさしく人それぞれ
更にみんなが考えているご立派な母親という抽象的で、危うい想像の存在をフィルターにかけてしまっていないのだろうか
これは妊娠中に限った話ではない
身近にいるのである
『〇〇なんだから』
はじめに書いた
あなたはお姉ちゃんなんだからもそう
この固定概念の怨霊がどこもかしこも蔓延っている
小さい時から既に刷り込まれているのだ
今は妊娠中、
産む時になったら、
子育てが始まれば、
全部
『母親なんだからさ、、、』
はい!はいうるさーーーい!
声を大にして言ってやりたい(言えないんだよチキショウ)
なぜ母親だからで決めつけ終わらせてしまうのだろう
弱音も不安も吐いちゃいけないのだろうか
まず親の前に人間なんだから生きているんだから、感情がある、ストレスだってあるだろう
その一言で分断してはいけないし
押し付けてはいけないと思った
だから私自身、その立場になって
言われてモヤっとした気づいた部分でもあるし
やはりその〇〇なんだからは無闇やたらに言ってはいけないと感じてしまった
最近の一コマでした