胸のつかえが取れた夜
心にずっとあったしこりを、しっかりと自分で取り除くことができた。
ずっと逃げ続けて、気づかないふりをしてきたし、
そのまま過ごすこともできたけど、
それは違うんじゃないかと思った。
いくつかの大事なことに向き合った。
ちゃんと伝えること。
ありのままの言葉でよくて、
だけどそれが一番難しいじゃない?
ちゃんと認めること。
許せなかったことや、悲しかったんだということを認めること。
それも、とても怖いことだったよ。
許すこと。
許すという言葉は、私は、相手があってこそだと思ってた。
だけど違ったんだよ。
許すって、相手のことだけじゃないんだ。
相手のことを許してる、自分を許すことなんだ。
この“許す”ということが一番ややこしくて、
許すというと、相手に非があるように聞こえるけれど、
非ばかりを許すわけではない。
相手のことをまるっとそのまんま、受け入れるということなのだということに気がつくことができた。
まるっと受け入れると、
こんなにも体や心が軽いのかと、思いながら夜を迎えて、今。
真っ暗な部屋で、鳴り響くのは、加湿器のシューという音と、夫のイビキ。
子供がたまにオナラをして、自分のオナラの音でビックリして寝返りを打つ。
いろんなしこりが取れて、
何が悲しくて、何が嬉しくて、
何を許して、何を不安に思ってるのかが、
相当クリアになって、わかる。
私は、全部が欲しいけど、
どれもこれも本当は要らなくて、
この、いま、隣にいる、私の家族だけ、それだけが本物だということがわかる。
誰かに何を認められても、
誰かとどんなに分かち合っても、
嬉しくて悲しくても、
きっと全部は埋まらない。
全部どころかほんとは全然埋まらない。
友好的な人間関係も、仕事も、趣味も、買い物も、お金も、
全部大切で全部欲しいけど、
それらを全部手に入れたところで、
私の隣に家族がいなければ、意味がない。
逆に、友好的な人間関係も、仕事も、趣味も、買い物も、お金も、
たとえ、何も手に入らなかったとしても、
隣に家族がいれば大丈夫だ。
全然平気だ。彼らは、私が何も持っていなかったとしても、きっと変わらず私のことを愛してくれるからだ。
そう、実感できる数年間だった。
私はたった1人で闘ってるような気になっていたけど、それは違った。
私の家族は私をまるっと受け入れた。
私の欲深さを許し、泣いたり怒ったりすることさえも許して、その存在ごと認めてくれた。
それが、どれだけの力になったことか。
私はそれだけで生きていくことができたのだった。
もう、大丈夫だと思う。
これから先にもいろんな試練があって、
目を瞑りたくなるようなことや、
悲しみに暮れる日々があるかもしれない。
だけど、ちゃんと、自分でしこりを取り除くことができたこと、
そして、その数年間を私の家族が見守ってくれたことを、思い出すだけで、強くなれる。
今日、それが確信に変わったのだ。
………
隣の夫のイビキがうるさくて、子供が夫を蹴飛ばす。
一瞬息ごと止まって、まるで時が止まったような感覚になる。
止まらないで、どうか。
この時間を止めないで。
私の家族と過ごす時間を止めないで。
わたしはただただ、彼らと共に生きていきたい。
だって、私は、私たちは、それだけで、どんどん大丈夫になれる。
いつか、離れ離れになる、その日まで、
私はこの人たちと
生きて、生きて、生きて、
今よりずっと、強く、大丈夫になれるのだ。