当たり前って何だろうね
わたしは、凄く多分意味違うよと言いたい
記事を読んだからその事について書こうと思う
「先生だったら出来て当たり前」
その人はどうやら教師は「完璧」でなければ
いけないと思っているようだ
課題が出されて来週までにと言う期限
期限も内容も覚えていたらしい
しかし、やるべき課題のプリントが無い
無くしたのか?はたまた配られてないのか?
定かでは無いのだと言う
そしてそれを思いながら
別の紙にその課題を書き、次の授業の際に
その「事情」を説明したらしい
「当たり前にすべきことが当たり前にできないのであれば、教師になるべきではない」
と言われたそうだ
そして、その先生は全員の前で
当たり前に従うこと
当たり前のことが当たり前にできることが教師にとって大切なことだ
という内容を説明したようだ
それに対し
確かに、課題をきちんとこなせなかったことは改善すべき事柄である
けれども、
果たして本当に教師は
疑問をもたず、当たり前に従い
その上で完璧であらねばならないのだろうか?
もしそうであるならば
どれだけ気をつけても不注意などでミスをしてしまう者は教育者には向いていないということになるのではないか?
と考えたと述べている
ここまでに関してわたしが思う事
まず、課題についてだ
来週までと言う期限がわかっており
無くしかたどうか定かでは無いが
現時点でそのプリントは「無い」わけだ
なら、勝手に覚えている、わかっている
からと言う解釈のもとに別の紙に書き提出
する
これについてわたしは「おかしい」と思うのだが
だって、「必要なのは課題であるプリント」
であり、期限はまだあるのだ
ならば、もう一度、それこそ事情を
説明し、同じプリントをもらい課題を提出
する事、これが「当たり前」の事では無いだろうか?
「思いながら」とはすでに解っているわけだ
なのに、何故、するべき事をしない?
そして、それがさも「仕方がない理由」
とするのは責任転換であり、自分に非がある事
は明らかだ
そして更にそれを正当化し、「当たり前」として
その課題を提出し、事情を話す
これ程おかしな事はあるのだろうか?
ここで先生の言った言葉を思い出して欲しい
「当たり前に」するべき事は何を指すのか?
勿論、どんな理由があれ、無いと解った時点で
その旨を伝える事だ、必要ならプリントを下さい
とお願いする事、そしてそれを当たり前に考え
行動出来る事だ
それを出来ない者は教師になるべきでは無い
と先生が話している事は至極当然だと
わたしは思う
何故なら、では仮に、もし自分の生徒が
同じ様な事をしてそれを良しとする?
おかしいだろう、まずはきちんと
「伝える事」だよと重要な事を教え諭す事が
出来ないのに、教師になる?
果てしなくおかしい
なるべきでは無いなのは当然だよ
問題なのは課題をこなせたかどうかでは無い
それの対処の仕方だ
当たり前にすべき事、この「当たり前」
が何を指すかと言う重要で肝心な事に
気づきもしなければ解りもしない
むしろ納得がいかない?
果てしなく謎だよ
「当たり前」に従う事とはその様な
事であり、「何も疑問を持たず従う事」ではない
それでは「命令」ではないか?
そしてその上で「完璧」であらなければ
ならない?誰が、いつ、どの様に「完璧」
であれと言ったのだろうね
誰も言ってはいない、それこそ「また」
勝手な自己解釈だ
先生の言う「当たり前」の意味
「従う」の意味がまるで理解して無い様だ
わたしはその先生と全く同じ事を言うだろうね
「当たり前に当たり前ができることが
教師にとって大切」だとな
だって、当たり前だろ?そんな事も
解らない人間が教師になって何すんだよ?
意味不明だよ
どれだけ気をつけても不注意などでミスをしてしまう者は教育者には向いていないということになるのではないか?
は?バカなのか?
どれだけ気をつけても?
不注意などでミスをする?
いやいや、教師だって人間だしロボットでは無い
「当たり前」にどれだけ気をつけても
不注意やミスはある
問題はそこでは無い、そうなった場合
「当たり前」に従い「当たり前」の対処が
できるか?と言う事が大事なのだ
不注意やミスがあったら皆さんならどうする?
私はまず「報告」だそして「謝罪」だ謝る事
これはミスをしたのだから当然の事だ
そして「どの様にすれば良いか」判断を仰ぐ事
その「受けた指示」をしたり、「指示が無く
言葉だけなら」考えなさいと言う「ヒント」
であり考え「こう思いましたがそれでいいでしょうか?」とお互いの認識が一致しているかきちんと確認する事
そして初めて「行動」に繋がる
これが「当たり前」の手順だ
しかし、この人の思考のもとに予測するなら
どうだろう?「当たり前」に先程わたしが述べた
「当たり前」に従い「当たり前」の対処ができる
だろうか?わたしはおそらくできないだろう
と感じる
ほらね、どれだけ自分が「勝手」に解釈し
物事を捻じ曲げ捉えているか解るだろう?
それは教師になるべきではないと言われて
当然だよ
更にその人は
当たり前が難しいことを改めて突きつけられた
と感じショックだと捉え
教員養成課程でこのようなことを言われる現実
絶望で涙が止まらなくなったと言う
まさに「勝手に自己解決」だー
誰もそんな事言ってない
その人は
授業後、先生と話すことになったのだと言う
先生の主張は、
そういう人がいることは分かるが
でも教師はそうあってはならない
であったと述べている
これまた至極当然の話しだ、例え「そんな子供もいる」として解るよ、解るさ、だがね、
だからこそ、教え諭す必然性が教師にはある
よって教師はそうあってはならないのだ
もう先生と話すことを諦め、
テキトーに話をまとめた記憶がある
とその人は述べているが
ここが更に教師には絶対向いてないし
なれないだろうよと言う所だ
せっかく先生が説明してくれている
話を「素直」に聞く事が出来ない
し、「勝手に自己解決」したものだから
これまた勝手に「自分に非は無い」と考えている
当然、先生の話しなど聞くわけが無い
テキトーに話しをまとめたと言うのだから
よっぽどタチが悪い
先生の時間を奪っておきながら
よくもまあ、そんな自分勝手な事が出来る
モノだなと感心するよ
わたしなら、素直に話しを聞き
自分の「何」が問題だったのか
先生の「伝えたい事」は何のか?を
考えようとするし、だからこそ
疑問があれば、それに対して質問などもするだろう、であれば、仮にその段階で「気づく事」が
出来なくても、その後、気づけるならば
それは問題ではないからだ
問題なのはその「態度」だ、傲慢さだよ
テキトーになわけだから勿論気づく事など
ないだろう?
呆れてモノが言えないな
教師になる多くの人たちは、
学校が好きだった。楽しかった。
という人が多い。
そしてその人たちは
学校をより良いものにしよう
自分は完璧にならないといけない
と、理想を追い求める傾向に
あると周りを見ていて思う
けれども、先生だって1人の人間だ
完璧なんてムリだし、
間違うことも失敗することもある
完璧な姿をみせることより
そういう、不完全さも含めて見せていくことが
すこし先を歩く人間として求めれることなのではないだろうか?(個人的意見)
とその人は述べている
それはただ単に「あなた」が感じた
「周りの人達」の解釈であって
そうであるかどうかなど、解るわけないだろう?
そして、より良くしたい、より良い教師であるために努力しようと思うのは教師を目指す者として
それは至極当然の感情だよ
そして「誰れも完璧でなければ!」なんて
思ってはいないと思うよ、だってそれは「無理」
だからだ、「完璧」を求めているのでは無い
より良い教師になるために「努力」しているのだ
そもそも、その人は教師になりたいわけでなく
違う理由でそうしていると言うのだから
「当たり前」にみんなの「気持ち」が解らないし
考えられないのは当然なのではないかね?
と思うね
不完全さも含めて見せていくことが
すこし先を歩く人間として求めれることなのではないだろうか?
は?そんな訳ないだろ?
だーから、「教師になれない」んだよ!
完璧である必要はない、しかしだよ
「親しみやすさ」や「聞く心を持つ」
「気にかけてあげれる存在でありたい」
そんな風な事、つまり「お手本」だ
嫌味無く「お手本」を示す事が出来る
見せる事が出来る様な教師
ならばそれこそ、その人が言う
少し先を歩く人間として求められる事では
ないだろうかね
とわたしは思うよー
その人の中の1番好きな先生は
パチンコばっかり行って
遅刻常習犯で
朝部活に行ったら
牛丼食べに行こうぜ!とか言ってくる
無茶苦茶な人なんだとよ
子どもの頃は
先生なのにもっとちゃんとしなよ!
って思っていたけれど
とは言いつつも、なぜか憎めなくて
今思うとそれはきっと
良くも悪くも嘘偽りない姿を見せてくれて
その上で対等な人間として関わってくれたから。
大人によく垣間見ていた、ずる賢さを全く感じなかったから。だとさ
はぁ、どうしようもねーな
どこが?良い教師なんだ?
良くも悪くも嘘偽りの無い姿の意味が
違う
教師とは、手本であり、教え諭す事ができ
当たり前の事を当たり前に教える事ができる
人間であり、そのあたり前に従い
考え、行動出来る人間であり
嘘偽り無く、真正面から生徒に対し
ぶつかって行くくらいの気持ちと気合い
があったらなお良し!
どんな「生徒」も見捨てる事無く
それぞれに合った形で向き合い
より良い教えを与えてあげれる人間
それが「良い教師だ!」
その人が好きな人はただのいい加減で
自分勝手でテキトーな人間
まさにあなたと同じ思考の持ち主であり
それは好きなのも納得だよ
大人に垣間見るズル賢さ?
はぁ、それはあなたでは無いか?
まさしくズル賢いではないか
あー、わたしはこの記事を読んでまさに
絶望的で果てしなくバカであると感じたよ
それに、付け加えるならば
生徒視点だけで学校をみただけで
それだけで、学校というものを批判し続けるのは
なんか違うなと感じ
学校というものがどのように形作られているのかを教員免許取得を通してみてみようと思ったのだった。と述べているが
は?だから?何?それならもっと違う方法
あるだろうよー
何故だよ?謎だよ?なーんで
教員免許取得に繋がるんだよ!
しかも、それして全然解って無いし
意味ねぇ
意味ないじゃん、、。
そりゃあさ
教員になるつもりのない者は、
教員免許を取得するな。
と言われたと言うがよ、当たり前だよ!
そんな自分勝手な話しってあるのだろうか?
しかも自分はそれを譲らない程の
確固たる意思や理由があるのだと言うの
だから呆れる
今までの話しの中で
どこにそんなモノがあったんだか?
それこそ、本気で、教師になりたくて
教師を目指している同じ生徒達から
すれば、はぁ?何なんだよ!ってくらい
嫌な奴だよ?な?
はぁ、解らないんだろうなぁと
思った
色んな人達が色んな事を言ってくれて
それを「解らせようとしてくれた事」を
解らないのだなと思ったよ
わたしは改めて「当たり前」と言う言葉に
ついて考えさせられました
人間やはり「素直」でなければ
いけないのだとわたしは果てしなくそう
感じたのだ