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普通でないことを受け入れる難しさ

昨日は児童館のクラスの日だったので、肌がどれだけヒリヒリするか戦々恐々としながらも娘と参加してきました。

風邪が長引いて二週も休んだので、かなり久しぶり。クラスのお友達もみんな元気そうで、心なしか大きくなってる(笑)幼児の成長は本当に目覚ましいですね。

一昨日、娘の幼稚園面接用にと新しい服を何点か買ってきたのですが、普段着で着られるパンツも買いました。いつもはジーンズしかはかないけれど、ちょっとキレイめにパンプスとあわせて着るような、ワイドパンツ?せっかくなのでそれを着ていきたくて、合うようなセーターや靴を引っ張り出し、カバンはおしゃれなのがないのでいつものリュックでいざ出発。

さて、紫外線は痛いけれど、この格好でいつもかぶるツバの大きな真っ黒い帽子、かぶる?おかしいよね。絶対おかしい。

ここでなぜだか強気に出て、帽子をかぶらず日傘だけで外出してしまった頭の悪い私なのでした。実際、帽子をかぶろうが日傘をさそうが、あらゆる方向から光は反射してくるので完全に防ぐことは不可能なのですが、やっぱり違うものはあるのだと思います。

児童館でのアクティビティも、室内ですがもちろん窓からの光はさんさんと降り注いでくるので、いやーな予感を抱えながらもなんとか一時間半ほど楽しく過ごし、行きと同じように日傘をさして歩いて帰ってきました。いやー、いいお天気で暑いくらいでしたね。

紫外線を浴びたからなのか、自律神経の作用なのか、午後はなんだかそわそわしてしまって、何かしていないと居心地が悪い感覚にとらわれていました。娘が実家でお世話になっている間も、ほとんど体を休めることなく家事をしたり、たまっていた家計簿をつけたり。

多少ヒリヒリはするけれど、若干調子がいいのかな?なんてポジティブにとらえたりもしていたのですが、娘の帰宅後一緒にお風呂に入った後から、様子が一変。お湯の熱で体が温まったからか、全身のヒリヒリがいっそうひどくなってきました。顔を洗った後なんで、ヒリヒリをこしてビリビリと痛むような辛さ。心も同じようにどんどん落ち込んで、荒んでいくのが手に取るようにわかりました。

ぐったりして、座ると立ち上がることもしんどくて、娘が何かしきりに話しかけてきても笑うことができず、絶望感と悲愴感に苛まれ、ヒリヒリする肌を恨み、明日がこなければいいのにと思いながら娘と布団に入りました。

この症状が一体なぜ起こっているのか、結局12年間わかりません。以前の自分や、調子がとてもいい時の自分と比べて、今がどれだけ惨めかにしか目がいかず、辛い日々が続いています。

おそらく過去の投稿でも同じようなことを書いているかもしれないし、ポジティブでいられる時は「でも、希望を捨てずがんばろう」なんて書いていると思います。でも特に、こういった一番心身共に辛い時は、もっともっとハードルを下げて現状を受け入れなくてはならないのかな、とふと思いました。

会社を辞めたあたりから、いえ、もっと前から、死んでいてもおかしくない状態だったのでは?だから、今は周りの人と同じことが同じようにできなくて悔しいし楽しくないしなんで生きているかわからないけれど、実は息をしているだけでラッキー...…くらいに思っていないといけないのかもしれません。いや肌が痛いのはイヤだけどさ。

いろいろ諦めた方が穏やかに過ごせるんだろうな、と頭ではわかっているけども。なかなか難しいですね。無理やりポジティブになろうとしても、実際の不調が治らないので悲しくなりますしね。

そんな普通じゃない人の独り言でした。
みなさまよい土曜日を。

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Ayaka
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