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夕飯雑記(なんてことない日常)


仕事後の帰り道は決まって夕飯のことを考え出す。

今日は家にほぼ豚肉と白菜しか冷蔵庫にないから、作るものも絞込みやすい。

今夜から冷えてきたから、白菜と豚肉のミルフィーユ鍋か、娘が美味しいと食べてくれた白菜のお好み焼きか、の二択だった。

学童から息子を迎えに行き、帰宅すると娘がスマホを凝視している。

すかさず私が「白菜と豚肉のお好み焼きと、ミルフィーユ鍋だったらどっちがいい?」と聞いたら、

「今日はお笑いのライブに行くから。」と言われた。そうだった。先月から言っていた娘の予定があったのだと。

急いで夕飯を食べて出かけなくてはならないようだったので、娘が好きな無印のレトルトカレーを温めて食べさせた。レトルトってまずそうだから私は一切食べないけれど、あると便利だし、娘が好んで買いたがるので買っている。こういう「突発的に子供に温かい食べものを出さなくてはならない」時には必要なんだな、と毎回悟る。しかも無印良品のものなだけに話題になるように作られているはずだからきっと美味しいのだろう。

私も夫も昔から「料理は作るが正義」と思っているフシがあったが、子供がいなかったら買わないであろうレトルトやインスタント食品を子育てをしていたら買わざるを得ない勢いで食品が消費されていくので、スーパーに行ったらコンスタントに買い足すようになった。大人だけなら3食同じものでも豆腐一丁でも良いのだが、子供相手だとそうは行かない。食に変化とスピードを求めるなら、共働き家庭でそんなに作ってばかりもいられない。インスタントでもいい、という考えがいつの間にかこの家族間で浸透した。

何はともあれ、娘の食事は考えなくて良くなった。娘はカレーを食べてそそくさと外へ出て行った。


今晩の主題であったミルフィーユ鍋とお好み焼きの二択問題。鍋は娘がいないし、息子は絶対食べないのが分かるので却下になった。とりあえず残された選択肢であるお好み焼きを焼くことした。しかし、息子はそのお好み焼きすらちゃんと食べないのは分かっていた。夫の出張先土産で一昨日買ってきた「喜多方ラーメン」の残りが一食分だけあったので、それを仕込みながら白菜を切った。


ラーメンもただ麺を茹でてスープをお湯で溶くだけのインスタント品。「こんなんでいいのだろうか。」というくらいの楽な食事。白菜を少しだけ茹で、厚揚げも残っていたので焼いて乗せた。

息子は何か一つは食事に好きなものがあれば、他のものも食べられるタイプなので、ラーメンという好きなものに乗じて野菜やたんぱく質を投じる。やはりスープまで残さず食べてくれた。

息子のラーメンを作り、あとはお好み焼きを焼くだけになった。卵、出汁というか白だし、白菜と揚げ玉、あとはl小麦粉の一部に大豆粉や米粉も足す。普段使いの安価な薄力粉が切れてしまったので、製菓用の薄力粉も入れるという贅沢仕様。手袋をして混ぜて、フライパンで平らにして焼きながら、豚肉を上から乗せる。某スーパーでお好み焼きを焼く仕事をした経験から、この作業が苦ではなくなった。人間「この方法だとうまくいく。」を知っていると楽しくなるものなんだろうな、と思う。


2口コンロ両方にフライパンを置いて焼く。焼いている間に洗い物を片付けた。

仕事は立ち仕事なので当然体も疲れている。子供に夕食を作る事も文明の利器でたやすく終えた。なのになぜ今疲れながら赤ワインを飲んで料理しているだろうと自分が分からなくなる。特別お好み焼きが食べたい気分でもなかったのにな。

お好み焼きが焼きあがると、そこそこ美味しそうにできたので、ソースと鰹節と青海苔をかけて食べた。まだ合間に残った生地を焼きながら。焼けたほうはナイフで切ると粉と白菜の層が厚み1,5センチほどあり、程よく焼け、程よく美味しそうであり、我ながら上手くいったなと思って食べた。キャベツよりも水分がある白菜の方が旨みも強いかもしれない。なんだかんだでフライパン一枚分を平らげ、その後も小さいフライパンで焼いたものを半分も食べてたらふくになりながら赤ワインを飲んでいた。

普段と違う特別な夕食だったのに、お好み焼きなだけに雑多な感じもして、なんともいえない食事だった。








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