映像制作からデザインへ 〜七転び八起きな私の9年とこれからの話〜
自己紹介
はじめまして、デザイナーの長瀧(@ag_ayakan)と申します。新卒でヤフー→ギフティと事業会社のインハウスデザイナーとしてキャリアを進めてきて、2021年の10月末から株式会社mikanのデザイナーとしてジョインしました!
サービスデザインを見たり作ったりするのが好きで、プライベートでも「UX-mov」というギャラリーサイトを運営したりしています。また、ここ1年ほどは副業でクローズドSNSの「mio」というサービスをお手伝いしており、ちょうど先日リリースしました🎉
mikanは3社目のデザイナーとしてのチャレンジなので、抱負も込めてこれまでの半生を振り返ってみようかな、と思いこの記事を書きました。
人生初の入社エントリーなので拙い文章ではありますが、1人のデザイナーの物語として気楽に読んでいただければと思います。デザイナーとしてのキャリアに悩んでいる方、mikanが気になっている方に、少しでも参考になれば幸いです!
私のキャリアは大きく「映像制作」と「デザイン」の2軸が同時並行してきており、ややわかりずらいので略歴を作りました。まずは映像制作の方から順を追ってお話ししていきます。
3.11と映像制作との出会い
私が今日までのキャリアを歩んできた価値観のベースには、「クリエイティブは課題解決のための一つの手段」と従えている側面があり、まずはそのきっかけとなる3.11と大学時代のお話を少し。
今から10年前、2011年3月11日に、東日本大震災が起こりました。
当時東京にいた自分でも「とんでもないことが起きた」とは感じたのですが、東京は数日後には復旧したので、1か月する頃にはすっかりテレビの中の出来事になっていました。ただ、その後自分が無関心であったことにショックを受けることになります。
きっかけは、春休みが明けた高校3年の4月に、クラスに転校生がやってきたことです。彼女は福島の出身で、家が流されて家族で東京に引っ越してきたということでした。はつらつとした子だったのですぐに仲良くなり、よく放課後に遊んでいたのですが、ある時立ち寄った本屋さんで3.11の写真集を見つけ「この辺に家があった」と少し悲しそうに話してくれました。
「あぁ、自分は何も知らないで生きているんだな。」といういたたまれなさと、友達にどう声をかけるべきなのか迷ってしまったのもあり、受験が終わったら東北に行ってみることに決めました。
そして大学1年生の夏、ようやく東北のボランティアにいくことができました。現地の荒れ果てた光景を目の当たりにして津波の怖さを知ることはできましたが、現地の人たちに対して何かできたのかと言われれば、何もできませんでした。しかし、滞在中にあるドキュメンタリーを観たことをきっかけに大きな転換を迎えることになります。そのドキュメンタリーは同じようにボランティアで来ていた方が撮った、自分が知らない2011年3月~2012年7月までの約1年間の変化を収めた作品でした。その作品を観て、「自分の観たこと、感じたことを残して、他の誰かに伝えることができるんだ。これなら私にもできるかもしれない。」という感動があったのを、今でも覚えています。
もともと大学では総合大学の芸術学科だったのですが、この体験をきっかけに美術専攻から映像専攻に転向することになります。映像専攻といっても、内容は映像制作ではなく「映画分析」の分野です。当時は「大学で世の中の"良い"とされる作品で目を肥して、外で自分で撮ろう」という魂胆だったので、大学に行きつつ映像制作は個人で勉強しながら細々撮っていました。ただ、どんなに自分の作った映像をYoutubeやSNSに上げても、着くPVは繋がっている友達以上は広がらず、自分の映像をみている人がどう感じたのか、どうアクションを起こしたのかがわからなかったので、「自己満足になってないか」と自問自答を続ける日々でした。
仮説の一つとして「自分の映像クオリティが低いから刺さらないのでは?」という自信のなさもあり、趣味の範囲を超えて「仕事として撮る」状況を作ることにしました。よくいう「言ったもんがち」作戦です(笑)。学生かつ実績もなかったので無償同然の案件もありましたが、実績を増やすことを優先してお仕事をもらったり、映像作家の方の元でアシスタントをしたりもしていました。
試行錯誤しつつ色々手は出していたものの、自分の独学の範囲だと限りがありそうだったので、卒業後は「映像制作を学べる専門学校に行こうかな」と思い、受験していました。
そんな中、大学4年生の夏に my Japan という団体が主催する「Creative Summer Camp」に参加し、「とりのからあげ」というチーム名(チーム名の由来は全員とりのからあげが好きだったから...笑)で宮城県石巻のCMを作成したのですが、なんとグランプリをいただき、渋谷のスクランブル交差点で1週間くらい流れました。
スクランブル交差点で放映されていた時の様子
「実際に現地で感じた街のいいところを伝えるにはどうしたら良いのか」という問いに対してクリエイティブを作るのは、自分がやりたいと思っていたことそのものだったので、アウトプットしたものが評価してもらえたことがすごく嬉しかったです。
Creative Summer Camp終了から少しして、個人で映像制作の仕事を受けていたあるクライアント先のパーティーで飲んでいる時に進路の話になり「専門学校で勉強しようと思ってます」と伝えたところ、「座学ももちろん大事ではあるけど、実務に勝るものはないよ。時間は有限だから、就職する道も考えてみたら?」とアドバイスをいただきました。自分が今までやってきた方法がまさに「実践で学ぶ」ことだったのもあり、その言葉に妙な納得感があり、改めて「本当に専門学校に行くべきなのか?」を踏みとどまって考える機会になりました。そして結果、専門学校の入学を辞退して就職することに。
しかし、その時すでに大学4年の10月。世の中は内定式シーズンで、もちろん新卒採用はどこも軒並み終了していました。ようやく内内定をもらえた制作会社で1ヶ月のインターンをすることになるのですが、一緒にインターンにきていた学生や先輩をみていて、「下積み時代を終えたら10年以内に代表作を作りたい」と思っている人が多く、これまで「いかに早く世の中に出せるか」を重要視してきた私としては、正直「10年か...」と気が遠くなってしまいました。その時に、「クオリティの高い、人々の心を揺さぶる作品を作る」ことよりも、「課題解決」の方に重きを置いていることに気づきました。そこで映像制作に固執せず、「課題解決のためのクリエイティブ」を軸にしてこれからの進路を見直すことにしました。
下積みを続けてこそ生み出せる作品もあったはずなので、チャレンジを続けている映像業界の方々は今でも本当に尊敬しています。
課題解決への奔走とインターネット
続いて、「デザイン」に行き着くまでの経緯についても触れたいと思います。
時は遡って大学一年生の夏休み。ボランティアから帰ってきて、「何もできずに終わってしまった」感覚があり、何か東京でもできることはないか考えていました。色々ネットで探すうちに、学生ボランティアを東北に派遣する中間支援を行っていた「Youth for 3.11」という学生団体を見つけます(現在は解散しまっており、サイトを貼ることができないのが残念)。
その団体の主な内容は、学生ボランティアと人手を必要とする現地のプロジェクト団体をwin-winな形でマッチングでした。現地で復興支援に取り組んでいる団体と一緒にオリジナルのプログラムを作り、時間はあるけどお金のない学生に対し無料もしくはかなり安価な形で提供していました。
事前研修や現地での安心して活動できるようなサポート、帰ってきてからの振り返りの場などを行うことで、参加した学生の学びをより深め、ネクストアクションにつなげることが目的です。
私自身は東北にボランティアに行ったことで、旅行などではなかったであろう「深く考える機会」を得た実感があり、その団体の活動内容を見て「その場ですぐに何かできなくても、現地に足を運んだことのある学生が増えることで、現地に還元できる未来があるかもしれない」と思いました。
ただ、私が東北ボランティアに行く時、大学の周りの子からはあまりポジティブな言葉はもらえませんでした。「ボランティア」という言葉自体に対して、「無償労働」「偽善」「ダサい」等のバイアスイメージが一定あるのだということを実感していたので、そうしたネガティブを、どう「イケてること」に変換していくかがネックだと感じ、広報担当としてジョインすることにしました。
広報活動のメインは「WEBサービスの運営」でした。広報活動は多岐にわたり、SNSでの発信や、WordPressの更新、映像制作、記事の執筆や編集...etc やったことがなくても、必要に応じて導入し、見よう見まねで知識を得ては試す、ということを4年間繰り返していて、かなり鍛えられました。今思えば、その時の経験が自分のデザイナーとしての源泉であり、「課題解決のために手を動かす」ということの意味と楽しさを経験できた最初のタイミングでした。
また、インターネットならではの施策に対して数字で結果がすぐに返ってくる面白さ、拡散の影響力もここでの活動を通して知りました。特にインターネットの影響力を感じたのは、ヤフーが復興支援の一環として2014年から始めた「Search for 3.11」の恩恵に預かった時のこと。
私たちの団体は、団体名自体に「3.11」が入っていました。SEO対策をそこそこ頑張っていたというのもあるとは思うのですが、毎年3月11日だけはこの検索キャンペーンの恩恵に預かり、すごい時は検索の1ページ目に表示されていたので、「何事?!」というくらいの訪問数を叩き出していました。
私たちが3、4年かけても届くかどうかわからない数値をたったの1日で...この衝撃は「インターネットの可能性」を感じるには十分すぎるものでした。ヤフーの「Search for 3.11」は10年後の今でも続いているのですが、毎年継続的に3月11日にこの恩恵を受け続けていました。その事実は、インターネットなら想像できないくらい多くの人の課題解決に長いスパンで関われるかもしれないと希望を感じられるものでもありました。
映像からデザインへの転換
ここでようやく2つの道が繋がります(笑)。
自分がやりたかったことは映像制作ではなく「課題解決」なのだと気づいた私は、別軸で取り組んできたITの世界に目を向けはじめました。そこから「デザイン」に行き着いたのは、あるライフスタイル系のイベント制作会社の広報ポジションを受けたことがきっかけです。そこは、リアルな場だけでなく「WEB制作も場づくりである」と定義して、広報担当でもWEBデザインのスキルセットを推奨していました。中途採用メインの会社であった事もあり、選考を通る見込みもなかった&他に受けたい会社もなかったので、一か八か、WEBデザインを1ヶ月勉強してから選考に臨むことにしました(我ながらだいぶアグレッシブな選択...)。
現実は虚しく、あっけなく選考には落ちてしまったのですが、たまたま12月から早々に次の新卒採用をスタートしていたヤフーのデザイナーポジションに、記念受験的に応募してみることに。ヤフーは当時「課題解決エンジン」を指針として掲げており、東日本大震災の復興支援活動に積極的だった点でも、自分のやってきたことや考え方とマッチするところの多い会社でした。そう言ったことも関連してかわかりませんが、色々なミラクルが重なり、なんと内定をいただきました。
ただ、世の中はそんなに甘くないのです。お気づきの通り、私は当時1ヶ月くらいしかWEBデザインの勉強をしておらず、デザイナースキルはほぼないに近い状態でした。人事の方も入社してからのことを考えてくださっていて、内定の条件は「1年間のデザイン修行」でした。
ほぼデザイン未経験の中で修業先を探すのは骨が折れましたが、ご縁があり、インテリアSNSを運営する「ルームクリップ株式会社」と、旅人求人サイトを運営する「株式会社SAGOJO」の2社で約1年間働かせていただきました。
デザイン基礎やサービスの作り方について実戦で学ぶ機会になり、今振り返ってもやっておいてよかったなと思います。修行を勧めてくださったヤフー人事の赤堀さんと、未経験の学生を雇ってくださったルームクリップとSAGOJOの皆さんには感謝しかありません。デザインの世界に足を踏み込んだのは偶然でしたが、「課題解決のためのクリエイティブ」を念頭に置いた時、デザインはユーザー課題に対して建設的に向き合い続けることができる仕事だったので、自分の中でかなりしっくりきました。
そして内定から1年後、約束通りヤフーの新卒として入社しました。在籍中は2年間「Yahoo!ショッピング」のプロモーションデザインを担当します。みんなが知っている大きなサービスに関われる面白さ、今では喉から手が出るほど欲しいビッグデータを利用した施策の提案など、初めてのことをたくさん経験し、とても刺激的な日々でした。ですが1年ほど経過して、少しずつ転職を意識するようになりました。
理由の一つは、自分が誰を見て仕事したら良いのかがわからなくなり、モチベーションを見いだせなくなっていたことでした。会社としては売上を上げることは重要だと思っており、CVRやLTVを上げるためにどうしたら良いかを考えて回していくプロセスに面白さも感じていたものの、プロモーションデザインの仕事が主に「お得」への購買意欲をいかに掻き立てるかというところに特化した業務内容だったこともあり、「ユーザーの課題に向き合えること、解決策を提示していけること」から遠い環境がもどかしいと感じていたのだと思います。
どんな事業でも、何かしらの課題解決にアプローチしているものだと思います。自分の携わっていたECサービスも、地方のスーパーに行きづらい人たちや、手軽にネットショッピングを作りたい方々に貢献できているかもしれない...ということは頭では理解できたものの、自分のやっている仕事が世の中の課題に対してどのくらい貢献できているものなのか、変数が多すぎる気がしていました。デザイナーの中でもモチベーションを見出すポイントは人それぞれですが、私の場合は「マイナスをゼロやプラスに転じるような課題解決」に向き合えているか、自分からアプローチを提案できる状況にあるかが「私自身の仕事の幸福度」に影響するのだと気づきました。
サービスづくりへの興味
また、私は新卒の頃から最近流行っているプロダクトを調べるのが好きでした。もちろん勉強も兼ねてましたが、世の中のいろんな課題に対して、全く自分の思いつかなかったアプローチでサービスが出てくるとワクワクしますし、そのスピード感もとても刺激的なんです。
だからこそ、「自分もゼロからこんな世の中のためになるサービスが作れるようになりたい」という気持ちが芽生えていくのは自然なことだったと思います。
ただ、自分自身で世の中の課題に対して価値を提供できるようになりたいと思った時に、デザイナーとして自分に足りないのは、明らかにデザイン制作の場数でした。プロモーションデザインチームは企画から実装までを1人のデザイナーが一貫して行う体制を取っていました。制作の一連の流れを知る貴重な経験ではあり、今となってはそのころのディレクション経験や、コーディングをかじった経験が活かされてはいるものの、当時の私は焦っていました。自分がイチから価値あるサービスを作っていける力をつけるために、少しでも早くサービスデザインの場数を踏んだ方が良いと思い、転職を決意します。
「デザイナー」と胸を張れるようになるまで
ある程度裁量のあるところで経験を積もうと思っていたので、次はもう少し規模の小さいベンチャーにしようと決めていました。初めての転職活動だったこともあり、株式会社グッドパッチが運営するデザイナー向けエージェントサービス「ReDesigner」でお世話になることに。いくつかご紹介いただいた中で、大規模なデザインリニューアルを控えていた株式会社ギフティに2人目のデザイナーとして転職することになりました。
ギフティは、CtoCカジュアルギフトサービス「giftee」をはじめとした様々なeGiftサービスを提供している企業です。私の役回りは、ちょうど転職の数ヶ月前に制作のスタートした新しいコーポレートアイデンティティの制作背景を理解し咀嚼した上で「どうプロダクトに浸透させていくか」というところからでした。
そして、最初の大きな仕事がtoC向けサービス「giftee」のWEB/APP大規模リニューアル。会社として最初に立ち上げたサービスでもあり、アイデンティティが色濃く出るプロダクトでした。全てが初めての状況でしたが、それまでのプロダクトで大事にしてきたことや課題などをキャッチアップするところから始め、トーン&マナーの検討や体験の見直しも含め、全画面のデザイン第一弾の作成を1ヶ月ほどで行いました。当時はエンジニアもまだ人数がおらず、デザイナーが開発プロセスに関わること自体が会社としても初めてのような状況だったので、関係の構築や、デザインのたたきを出してからのブラッシュアップなども含め、お互い手探りでやっていきました。
長期に渡るプロジェクトでの大変さもありましたが、「PMの見ている世界」「エンジニアの見ている世界」の両方を理解し、デザインする中で両方の考慮を踏まえて最適なデザインは何かを考えて幅出ししていくことの大事さや、チームでプロダクトを作る楽しさを学んでいきました。
2020年12月にリニューアル版gifteeがリリース
2年の長期プロジェクトを経て、リニューアル版「giftee」のリリースを見届けた後、2021年に入ってからはCCO直下のデザインチームに配属されることになり、地域通貨サービス、toB向けSaaSなど、色々な分野のサービスのリードデザインを横断的に担当させていただきました。
デザイナー5年目。学生時代の試行錯誤から考えるとちょうど9年。
まだまだ未熟ですが、ようやく名実ともに「デザイナー」と名乗れるようになってきた気がします。ここまで長かった(笑)。
ギフティ自体、コロナ禍ということもありかなり需要が高まり、サービスとしての面白さややりがいは感じていましたが、「マイナスをゼロやプラスに転じるような課題解決には取り組めていない」というヤフーの時に感じていた思いは、頭の片隅にずっと残っていました。
2021年の1月頃に部署移動したタイミングで今後のキャリアを改めて考える機会があり、「いよいよ自分が取り組みたいと思う課題を重視して、力を試す時なのかもしれない」と思い、少なくとも年内には転職しようと決めました。
お世話になったギフティのデザインチームメンバーと
転職するにあたって
私が次の転職で重要視していたのは、以下の4つでした
1. 事業共感度が高いか
前述してきたように、「マイナスをゼロやプラスに転じるような課題解決」に取り組みたいと思っていました。特に人々の日常生活の中での課題や、人生の選択を左右するような課題に対して、今後テクノロジーの力で改善していける可能性に自分自身が共感し、モチベーションが持てるようなものに取り組みたいと思っており、そこまで厳密に業界は絞ってなかったのですが、最終的には「小売」「医療」「教育」の分野が残っていました。
2. サービスデザインができるポジションがあるか
私は自分自身の自己紹介をするときに「サービスデザイナー」と書くことが多いです。それは、「サービスの提供価値自体をデザインしていきたい」という自分の心構えも含まれているのですが、これまで働いてきた会社では、デザイナーのキャリアとして、「デザイナーを続けるか、マネジメント寄りに移るか」を選択しなければならない分岐点が用意されていました。そしてデザイナー5年目の私は、まさにその分岐点を目前にしていたのですが、デザイナーは辞めたくありませんでした。なおかつ、サービスの意思決定には踏み込んでいきたいと思っていました。これまでモヤモヤしてきたポイントの多くが「分業のボーダーライン」への納得感が得られなかったことだったこともあり、その両方が叶う会社はないかという視点で見ていました。
3. 継続的にサービスを育てていくことに関われそうか
自分の関わったサービスが、世の中に対してちゃんとサービス価値を提供できているのかを知りたいと思っていました。制作会社にも魅力的なところはいくつかあったものの、1つのプロダクトを育てることにしっかり時間を使ってみたいと思い、主に自社プロダクトの開発&改善に力を入れている会社を見ていました。
4. カルチャー、チームとのマッチ度が高いか
プロダクトに対しての考え方や肌感が合いそうかどうかは慎重に考えていました。サービスはデザイナー1人で作るものではないので、一緒にワクワクするものを作る上でチームとの相性は非常に大事だと感じており、かなり重視していたポイントでした。そのため、今回はあえてエージェントサービスは使わず、紹介や直接お声がけいただいた方とカジュアル面談をさせていただきながら探していました(お声がけいただいた皆様、ありがとうございました...!)
mikanとの出会い
ゆるやかにやっていたとはいえ、半年で30人近くの会社の方とお話しさせていただいていたのですが「なかなかドンピシャの会社を探すのは難しいなあ...」と感じていました。素敵な事業やサービスに取り組んでいる会社さんはたくさんあれど、「デザイナーを諦めずに意思決定の工程にも入れる」かつ「働く人やチームと合いそう」な会社となるとなかなか難しく、とはいえ妥協できない部分でもあり時間がかかっていました。
そんなある日、mikanの人事、溝口さんからYOUTRUSTでオファーメッセージがきました。
たまたまその時期にTwitterのタイムラインでmikanの楽しそうにサービス作りをしているツイートが流れてくることがたびたびあり、「どんな会社なのかな?」と気になっていたため、カジュアル面談を受けてみることに。
面談の前に「できたら事前に読んでいただけると嬉しいです!」と送ってくださった会社資料等のリンクに、会社の今やっていることだけでなく、これまでの経緯やどんなメンバーがいるかがわかるnote、メンバーの生の声が聞けるpodcastなど、mikanについてのイメージが湧きやすくなる情報が入っており、「会社とメンバーのマッチ度をすごく大事にしている会社なんだな」という印象を受けました。
そして迎えた当日のカジュアル面談は、未だかつてないくらい盛り上がりました(笑)。
溝口さん自体がデザイナーであり取締役でもあったので、会社の方針やデザイナーのポジショニングなどについても深くお話を聞くことができ、社内の雰囲気や業務プロセスなども包み隠さず見せてくれました。その時に感動したことが2つあります。
1. 「越境」が当たり前
Bizdevがクエリを勉強していたり、エンジニアがfigmaを触っていたり、CSがユーザーの声をもとにデザインの改善案を出していたり、「越境」が当たり前のカルチャーになっていることでした。今の規模だから可能なこともあるとは思いますが、四半期ごとの経営会議も基本は全員で出席している、ということでした。ここなら、自分が「デザイナー」の職に止まらないアクションを起こしても歓迎してくれるかもしれないという期待感が持てました。
2. 徹底した仕組み化とオンラインコミュニケーションの工夫
mikanでは地方からもオンラインで働いてくださっているメンバーがいることもあり、基本的にはオンラインコミュニケーションでの齟齬が生まれないように、徹底したドキュメント化や、ポジティブで素早いslackやNotionの反応などを心がけているようでした。人数が少ないと俗人化してなあなあになりがちなところを、手堅く仕組み化していくことにしっかり取り組んでいるのがとてもいいなと思いました。
選考を一通り終え、体験入社ではメンバー全員と1日かけて1on1させていただきました。サービスへの向き合い方、メンバーとのコミュニケーション、デザイナーと一緒にどんなことをやっていきたいと思っているのかなど、それぞれのポジションの方から直接お聞きでき、私自身も一緒に働く人のたちのイメージがよりクリアになってとても濃厚な日でした。1日の最後には熱烈なオファーレターをいただき、メンバーの方一人一人のメッセージや私への期待を伝えてもらいました。
それがとても新鮮で、人生でこんなに人から必要とされたことあるのかなと勘違いするくらいの喜びを感じました。メンバーの採用に全員がフルコミットしてる姿もとても好感が持て、「一緒に働いたら楽しそうだし、どんな問題があってもメンバーで解決していけるチームワークがありそう」という気持ちになれました。
mikanのミッションと、英語コンプレックスの一致
ポジションもマッチしそう、人も良い、残すところは「取り組む内容」ですが、ここは私の中で強いモチベーションを持てるものでした。
恥ずかしながら、現時点で私は英語ができません。大学受験期に3科目受験で、特に足を引っ張っていたのが英語だったのですが、就職後最初に受けたTOEICでも、点数は400点未満でした。大学の頃から旅が好きで、国内外の色々な箇所に飛び回っていたのですが、滞在先のゲストハウスなどで知り合った海外の方とうまくコミュニケーションが取れず、周りの英語ができる友人の横について、ニコニコ話半分にうなずくだけ...という苦い経験をしてきました。
デザイナーになってからも、ITは流行が常に海外からやってくる業界ということもあり、英語の記事やブログを読む機会も多いですし、面白そうなデザイン系のカンファレンスもたくさんありますが、翻訳がないとリアルタイムで見てもほぼわかりません。「もっと英語ができるようになりたい...!」と思い立っても、これまで何度も目標を立てては1ヶ月と持たずに挫折してきました。
英語ができないことによってこれまで諦めてきたコミュニケーションや、チャレンジする前から選択肢から抜いてしまっていた海外の学校入学や就職の道、取りこぼしてきた優良な知見などは数えきれないほどあり、積み重なる度に英語へのコンプレックスは強まっていました。
なので、mikanのミッション「本質的なテクノロジー活用であらゆる人の英語学習によりそい人生の可能性を広げる」というワードを初めてみたときに、私のように英語にコンプレックスを感じている、あるいは感じる可能性のある人のためのサービスだと感じたのを覚えています。だからこそ当事者意識も生まれやすく、「英語ができないから気づける視点」でプロダクトに貢献できるのではないかと湧き上がってくる気持ちがありました。
また、mikanは今後「英語から教育全体へと、拡大を見据えている」という展望の話も心に刺さりました。実は、私はもともと義務教育そのものが辛く、小学校〜高校まで学校も好きではなかったという背景があります。
「先生の教え方が好きじゃない」「思うように覚えられない」「なんのためにこの勉強をしてるのかわからない」...etc
勉強本体の起因じゃないところで、「勉強がつまらない」という結論に丸めてしまっていたなと思います。「日本の義務教育は遅れている」と昔から言われてはいますが、教育現場そのものを変えることはこれまでの構造を一から改革することと同義で、計り知れない時間がかかるプロジェクトだということは想像できました。だからこそ、テクノロジーの領域からの「パーソナライズ」のアプローチは未来を感じるもので、強い関心を持ちました。
その後もいくつかの会社を受けましたが、事業共感度合いとメンバーの方々の人柄に惹かれ、1週間ほど検討した末に内定承諾をお伝えしました。承諾後の盛り上がってるslackのスクショを溝口さんに送ってもらったのですが、「こんなに喜んでもらえるのか...幸せだな...😭」と喜びを噛み締めました。
これからやっていきたいこと
ずっとやろうと考えてきた「マイナスをゼロに、さらにはプラスに変えていく」チャレンジをできる環境をもらえたので、あとはやっていくのみ...!地に足をつけて、頑張っていきたいと思います。
特に、英語の勉強に何度も挫折している自分だからこそ気づける視点を持って「英語アプリは圧倒的にmikanがいい理由」を作っていきたいと思っています。
大まかにはこの2方向に対して、当面はデザイナーとして貢献できるように頑張っていきたいです!おそらくまたしばらく働いた後にnote書きそうなので、そのときにまた続きのお話ができればと😌
私自身も英語の勉強を再開し始めたばかりなので、ユーザーさんと一緒に頑張るつもりで継続していきます(現在40日継続中!)
そして!デザイナーが2名に増えたということで、デザインシステムの運用やデザインチームとしての体制づくり&採用にも貢献していけたらと思っています💪
最後に
長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただいてありがとうございました
mikanは現在英単語アプリをメインにしていますが、「英語」というより広い領域に展開を広げようとしています。
そんな変革期にワクワクしてくださった方、mikanに興味を持ってくださった方、「mikanのデザイナーって実際どうなん??」と気になってくださった方、一度ぜひお話しましょう🍊
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