なぜ、走る?
私の趣味のひとつ、走ること。
学生時代に運動部に所属していたわけでもなく、運動会や体育大会などは大嫌い。
そんな私が走ってみようと思ったのは、街中で走っている人を見て、ただただ疑問に思ったから。『なぜ走っているのか?』
単調な動作の繰り返しをひたすら続けるランニングというスポーツ。
タイムを競ったり、自己ベストを出したりと、もちろんそれぞれに何かあるのだろうな、とは想像に難くない。
でも、でもさ。
他のスポーツと比較すると、特別なテクニックや戦略を必要としない(自分が走る前はそう思っていた)このスポーツの、どこに惹かれる部分があるのだろうか…と。
一度気になり出したら、自分でやってみないと気が済まない。
『とりあえず、走ってみよう。』
というのが、走り始めたきっかけ。20代半ばぐらい。
最初は5km走るのがやっとのこと。辛いことに耐えるのは得意ではないので、足が痛くなったり、疲れたり、とにかく楽しくなくなったら走るのをやめる。
でも、次の日になると『もうちょっと長く走れるか?』と考えるようになり、ちょっとだけ長く走ってみる。
こんなことを繰り返していると、徐々に楽しくなってくる。
自分の今の身体が耐えられるのは何kmか?
『楽しい』と思いながら走れるのは何kmか?
走り始めた頃の20代半ばは、そんなことを漠然と考えながら走っていた。
それからしばらくして、徐々に仕事が忙しくなり、走る頻度が減ってしまった。
当時の私の中では、仕事のプライオリティが高く、趣味が原因で仕事のパフォーマンスが落ちることがストレスになっていた。だから、無茶はできない。身体的な疲労は、精神的にも悪影響になり、逆も然り。
そして、全く走らなくなり、10年近くが過ぎた。
仕事を辞め、アメリカで専業主婦となり、時間が潤沢にある今。
どうして渡米してすぐに走ることに気が向かながったのだろう、、、と考えてみるが、これは自然なことのようにも思える。
見るもの全てが新鮮で、自分の仕事の領域しか学んでこなかった私の脳は、あれこれ吸収するのに必死になっていた。
そして、3年経って落ち着いた今。
『マラソンに挑戦する』という知人に付き合って、走ってみたが最後。
10年前の好奇心が爆発して、再度、自分の身体とポテンシャルを探求したくなった。しかも今は、仕事というストッパーはない。
人に、家族に、迷惑をかけないレベルの身体への負担をかけて実験できるのだ。
どれだけ走れるか?どこまで走れるようになるか?
疲労の回復スピードは?
いろんなことを試しながら、走ることができる。こんな楽しいことはない。
2023年の夏、36歳で再び走り始めた時点では、20kmが『楽しい』の限度。
でも、次の日も10km程度なら楽しく走れる。
10kmなら、1週間連続で走っても楽しいし、そこまで疲労が残ることもない。
秋になり、30km走った翌日も、10km、15kmと走れる。一晩眠れば、足の疲労感はほとんど消えてなくなる。
でもまだまだ、初心者。いつどこで痛みが出たり、疲労感が押し寄せるのかは未知数。
これがまた、面白みだったりする。自分でも予想していないところで痛みがでたり、好きなことをやりたくなく無くなるほどの疲れに襲われたりする。自分の中の、未知の世界。
痛かったり、やりたくないなら、やらなければいい。誰に強制されているわけでもなく、ましてやこれで生活しているわけではない。
こんな気持ちで、今はただただ、走っている時の高揚感と、己の身体の未知の領域を知ることを楽しんでいる。
これが、私が走り出した&走っている理由。