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解離性障害と言われてから

薬が増えた。
信頼してる医師にかかり約10ヶ月。
治りかけていた発作が再発した。

私の発作は過呼吸もあれば痙攣もあるし、意識が飛ぶように身体が動かなくなったり、上から自分を見つめているような感覚になることもある。

発作が増えて、一番苦しかったのは夜中の莫大すぎる希死念慮だ。
iPhoneの充電コードが無駄に長いのも本当によくない。
本当に死にたい、殺してくれと叫んで、手首を切って、コードを巻いて、、
でも結局怖くて布団の中でガタガタ震えながら朝を待つほかなかった。

そんな時、藁にもすがる思いでセカンドオピニオンとして違う病院に行ってみた。
何かが良くなるとか、薬を疑っているとか、そんなんでもなんでもなく、ただ何か行動するということと自分の状況を客観視することで何か変わりたいと思ったのだ。

そこの医師に、セカンドオピニオンであることや薬には満足していること、今の自分の状況を知りたいことを話すと、的確に淡々とその医師は話し始めた。

「あなたは双極性障害かつ解離性障害ですね、それも結構重度のうつ傾向があります。他にもボーダー(境界性人格障害)とかもあるんだけど、それもぜんぶ解離に集約されるから、この二個でいいと思う。」
「解離を持つ人って、過去に親との関係がうまく行ってない人、虐待やネグレクトを受けながら育った人が多いんだけど、どうかな?」

医師の話を聞いて過去を振り返る。そんな虐待なんかなかったしネグレクトどころか私学のいい学校を卒業させてもらうほどの家庭で、旅行なんかもみんなで行っていた。反抗期もしっかりさせてもらったから何もなかった、とおもっていたしそう医師に伝えた。
が、医師が放った次の言葉を聞いた時、背筋が凍るような感覚になった。

「お母さんとか、ヒステリックだったりしなかった?」

大当たりだった。確かに母はヒステリックで怒らせないようにはしていたし、母はいつも父に対しての愚痴を私たち子どもに聞かせていた。
その時無意識に意識をちがうところに飛ばしながら対応する癖を身に着けていたんだそう。それが今になって出てきた、と。

「今までお疲れさまでした。」
と医師に言われて、ああこれは親を責めるでも過去を呪うでもなく、受け止めて戦っていくほかないのだと気付いた。

今さら、仲良くなった両親を責める気もサラサラないし、両親は両親で自分のしたことに気付いて常々「反省している」と言っているのでそれ以上何かを言うこともない。

ただ今ここには、「一人で戦う」「一人で抱えて生きていく」ということだけが残って他には何もなかった。そんな現実が鈍く私の心に突き刺さっていた。

「頼ってよ」「話聞くから」「しんどい時は連絡して」と友達も親もみんな言ってくれた。
でも重いんだ、解離の発作なんて誰が見てられるんだ。
人は簡単に裏切るということを忘れかけていた。
ぬるま湯につかっていた私に鞭をうち、もう一度「一人で生きていくんだ」ということを頭で理解しなきゃいけない。
そして私の中にいる五歳児にはくまのぬいぐるみでも持たせて歩かせていかなきゃならない。

人生なんてそんなもんだ。
なんて聞き分けのいい子どもみたいなことを言って、
ひどい泣き顔で笑いながら今日も生きていくんだろう。

誰か馬鹿みたいだと言って顔の形が変わるまで殴って罵ってくれ。
薄ら笑いの仮面をはずしてくれ。

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