自分は好きに生きたいけど子どもには普通に学校行ってほしいって、Wスタンダードですわ
子どもの不登校に悩むこと半年を経て、現在は毎日給食からの午後のみ登校を続けている娘がいます。
午後の授業には参加したりしなかったり。
職員室近くの相談室をねじろとして、お絵描きしたりけん玉をしたりと、好きに過ごしている娘を見て、不思議に思っている下級生もいるとかいないとか。
この前もお迎えに行ったら、机上にじつに見事な貂(てん)の絵が置かれていて、いつ描いたのか訊くと、暇だから勝手に2階に上がって貂の剥製を見て描いたんだそう。
絵は、わが子ながら、上手い…。
し、しかし、勉強は?
学校でも見事にマイペースを貫く娘に対して、できたら授業に出てほしいんだけどなぁという気持ちがないわけではないのです。
しかし、私、うすうす気付いていました。
子どもに普通に学校に行ってほしいと願いながら、でも私自身はやりたいことをして自由に生きていたいんだ、というのは、なんかえらい矛盾してるな、ということに。
私自身のことを書きますと、
「子どもの個性を守る生き方をしたい。これからは発達障害の子と不登校児の支援をしていこう」
と3年前に障害児教育の仕事を辞め、それからは発達障害カウンセラーとして相談にのったり、実際に不登校支援の現場で働いてみたりして、自分のやりたいことはこれだ!というところに近づいてきています。
現在は、個性的な大人と子どもが出会う場所としてコミュニティカフェを開きたく、古民家を購入してコツコツ改修中です。
この生き方を選択するまでに、2年ほど悩みに悩んで、思い切って退職したからこそ今の私がいます。
教師として頑張ってきたキャリアを手放すこと
定期的な収入源を手放すこと
安定した身分を手放すこと…
不安がないわけではなかったのですが、教師であることに違和感しか感じなくなったからやめようと決意しました。
自分の気持ちや感じていることを大事にすると決めたのです。
自分自身がほんとうにやりたいことをやり切って大往生で死にたいのです。(目標120歳です)
自分のやりたいことから目を逸らし続けてストレスで病気になるような生き方はしたくないのです。(その頃残業続きだと心臓が痛くなることがあったので、あのとき辞めなかったら入院してたかも。)
と、まあこのように、自分自身を大切にすると決めたわけですが、本当にそれでよかった!
安定した仕事も収入も、それが「良いこと」と刷り込まれていたからの選択に過ぎず、私がぜったいやりたいと、心から願ってたことではなかった、からなんですねぇ…。
私は本当は、誰にも遠慮することなく自分の考えていることを発信し、自分がこうと思ったことを実現していく生き方をしたかったのです。
(教師という立場に囚われて言いたいことも言えず、どれだけ納得がいかなくても組織として右に倣わなくてはならないのではなくて、です。)
でも長いこと他人軸で生きていると、自分でやる、ということになかなか踏み切れなくなる。
それまでの人生で、私がどれほど他人の価値観に依存し、他人軸で生きていたかということに、辞めた後いやというほど気づかされました。
そんな経験を経たからこそ、娘には、親の気持ちを汲むのではなくて、自分の気持ちを大切にして生きてほしいと願います。
娘は、「教室にいるのはトラブルになった女子がいるから落ち着かない」「勉強よりも他にやりたいことがあるから別室登校で良い」と思っています。
ならば、そんな娘の気持ちを尊重してあげなくては、私が今の生き方を選んだ意味がない。
それなのに、やっぱり学校に行ってほしい、きちんと授業を受けてほしいと願っているのは、
結局、「みんなと同じように」という「普通」を求めているからに他ならない。
自分の気持ちは大事にしていきたいのに、
子どもには「普通」に過ごしてほしいと願う気持ち、これこそまさしくダブルスタンダードではありませんか。
だいたい私も、特に高校時代は窮屈すぎて自分らしくいられなかったため、気持ちを殺して日々を過ごしていたのですが、その結果「離人感」を頻繁に感じておりました。(時々自分がふっと遠ざかり、すべてが他人事の感じがする症状。太ももをばしばし叩くと戻れます。大学に入ってこの話をしたら友達にびっくりされたので、私おかしかったのかなと気付く…。大学生になってからは治りました。)
魂レベルで望む生き方を目指す私の、我が子へのダブルスタンダード。
これは痛い。…つーかイタすぎる!
なので昨日、娘が部屋で集中して絵を描いているところに母、さっそうと?登場し
「ママは自分のやりたいことをやろうと決めたから、〇〇ちゃんにもやりたいことをやってほしい。だから学校に行って授業を受けるのが正しいことだとは言わないし、言えない。
ただ、授業を受けたくない理由がつまらないからとかじゃなくて、友達とのトラブルにあるんだったら、その怖い気持ちを乗り越えようとトライしてみてほしい。準備ができたらでいいからね。」
娘がしっかり聞いて頷いてくれたのを見て満足し、「以上、現場からママがお伝えしましたー」
と、往年の名レポーター東海林のり子さんよろしくキッチンへ去っていったのでした。(今、麹作りで忙しいのです。)
ダブルスタンダードに気づけたから、それはもうやめます。
こんなふうに、娘の不登校を通して、日々たくさんの気づきと手放しがあるんですよ。
子どもの不登校は気づきとゆるしの宝庫!
同じように悩んでる不登校児のおうちの方に、不登校のポジティブな側面も伝えていけたらと願っています。
子どもが不登校だからって世界が終わるわけありませんからね!大丈夫です!
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