ペットロスと保護犬との出会い
どこから書こうか、何を先に書こうか…迷っていたら一週間経ってしまいました、、、(反省)全体を整理するのは後にすることとして、一番直近の出来事から。。。
ちょうど3ヶ月前の4月13日にヴェルべが旅立ちました。17歳でした。今でもふとした時に思い出しては、涙しています。完全に克服したわけではもちろんありませんが、一つの詩と一頭の保護犬との出会いが、私をペットロスという暗闇から救ってくれました。
わんにゃん愛好家ならば多くの方が知っているであろう【虹の橋🌈】という作者不明の詩。私はこの詩と出会うまで、とにかくヴェルべの死を嘆き、悔やみ、自分を責めてばかりいました。失った悲しみ、苦しみ、失望、絶望、孤独、虚無感、喪失感、、、この世の負の感情のすべてがここにあるような、そしてそれらに押し潰されてしまいそうな、そんな日々でした。私は幸いにもヴェルべの最期に立ち会うこともでき、この手で彼の旅立ちを送り出してあげることもできたのですが、それでも「もっと○○してあげればよかった…」「なぜあの時○○しなかったのか…」と思い返すことは後悔ばかりで、もう目を覚ますことのない彼に向かって謝ってばかりいました。
■ワンちゃん(猫ちゃん)の本来の姿は純粋なタマシイ(愛のかたまり)なのであって、この世での肉体は仮の姿に過ぎない。
■虹の橋🌈のたもとでは、どんなワンちゃんも猫ちゃんも一切の苦痛から開放され、食べるものにも仲間にも恵まれて、ずーっと幸せでいられる。
■飼い主が悲しんでばかりいると、虹の橋🌈へ旅立ったワンちゃん、猫ちゃんがいつも上空から心配ばかりしている。
■いつでも必ず心(タマシイ)は繋がっている。
■ワンちゃん、猫ちゃんは飼い主さんの笑顔がずっと変わらず大好き。
■【後悔の日々】は何も生まず、【今を大切に生きる】ことが彼らの供養になり、これからの新たな【後悔の日々】を生まない唯一の方法でもある。
なにより、、どんな命もそれまで懸命に生きてくれたことに違いはないのだから、【私の後悔】と【失った悲しみ】ばかりを思い嘆き続けるより、ヴェルべへの【感謝】と【賛辞】、【彼との思い出の日々】で心を満たし、現実と向き合いながらも、私が笑顔で毎日を過ごすことが大切なのではないかと思わせてくれました。
お別れの儀を行い、火葬場でお花に囲まれた彼の最後を見送った時に流した涙は、彼が旅立った直後からずっと流してきた苦い涙とは違う、心安らかで甘い涙だったことを覚えています。それは【死体】を眺めてはただただ悲しくて苦しくて泣き暮れていた時から、【虹の橋🌈】に出会って、目の前に横たわっているのは、彼がこの世で着ていた【肉体】という物質を脱いだあとの【亡骸】に過ぎないと理解できるようになったからだと思います。これまで患っていた病も17歳という高齢の身体もすべての苦を脱ぎ捨てて、本来の純粋な美しいタマシイに戻ったのだと。
お仏壇に季節のお花を飾ることや、毎日お水を新しくすること、お線香をあげること、メモリアルグッズを気の済むまでオーダーすること等…で、今はその寂しさとはまぁまぁ上手に…共存しています。
保護犬は以前からずっと気になっていて、この先またワンちゃんを迎えることがあったら、その時は絶対に保護犬にしようと決めていました。理由はひとつだけ。人間の都合で不幸になる命をひとつでも救いたかったから。それだけです。だから必然的に保護犬であっても【健康な子犬】の選択肢はなかった。そんな中で出会ったのが今年10歳になるミニチュアダックスの女のコ?でした。