〈全文公開〉 十一月七日(木) 晴れ
朝から気持ちが良くて、ひさしぶりにランニングに出た。正確には、最初だけランニング。後半はウォーキング。
公園の木の葉が色づいている。空の青に映えてきれいだ。
夕方、子どものピアノ教室。いつもならピアノが終わったあとにマクドに寄り、マックシェイクやチョコパイを買うのだけれど、今日は駐車場の自販機にあるナタデココの入ったグレープ味の飲みものを飲みたがり、戸惑いつつ買いあたえた。おいしかったらしい。飲み終えた子どもから「ぶどうです」という香りがした。(決してホンモノのぶどうの香りではないやつ)
以前noteに書いた『失いながら生きている』という記事に、ライター仲間のさやかさんがコメントをくれた。
これを読んで、わたしも、子どもが「あか」や「あお」という言葉を覚えた時のことを思い出した。
その言葉を知るまで、この人は色をどんなふうに認識していたんだろう。
それは失われてしまったのかなと、成長はうれしいのに、すこし寂しくなった。
「うれしい」とか、「たのしい」とか。それを知るまでは、そこにおさまらない感覚を持っていたのかもしれない、とか。
言葉をおぼえるまでは、わたしたちはもっと自由に、言葉にはおさまらない気持ちや感覚を持っていたのではないか。もっと他の「ことば」を持っていたのではないか。
もしかしたらそれを見つけたくて、今、本を読んだり、文章をたくさん書いたりしているのかもしれない。
書いてみると、それを読んだ誰かがなにかを思い出して、それを見てまた自分がなにかを思い出したりして、とてもおもしろい。
ピアノから帰ると、相方が夕飯の支度をばっちり整えてくれていた。大根と豚肉の甘辛炒め。おいしかった。
仕事。今日も入稿できなかった。
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即日記(2024年9月〜
その日のうち、もしくは翌日までに書く日記やメモ。
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