好きなものを好きと言う勇気

好きなものを好きと言うには勇気がいる。え、なに言ってんの?という顔をされたら。きもいとかダサいとか思われたら。この投げかけは一種の試金石。受け止めてもらえたら心を開くし、そうでなければこの距離感がそれ以上縮まることはないと悟る。

例えば「渋谷の朝って青いよね」はどの「キャラ」にも属さない。陽キャ、陰キャ、ガリ勉、不良、オタク………性格のテンプレートから外れた言葉。安心できる人間関係とは、このテンプレートなしに会話できるものだと思う。

藝大を目指す漫画、ブルーピリオドを一気に好きになってしまったシーンが、「その時生まれて初めて ちゃんと人と会話できた気がした」のところ。こう振る舞えばいいんだろうという加工をやめて、目に見えたものをそのまま表現して受け止めてもらえた。

私もそういう体験があって、これは本当に安心する。あ、認めてくれるんだ、この気持ちを人に言ってもいいんだってほっとする。


大学でそういう仲間にたくさん出会えた。真剣に音楽をやる上で、自分の頭の中にあるものをできるだけそのまま言葉に出すのはむしろ必要なこと。「草原で少年が星空を見上げている。くさむらはゆるやかに風に揺れる。おもむろに立ち上がり、確かな足取りで前に進み始める。カメラが斜め左下に動いてフェードアウト」みたいなイメージを真剣にやりとりできる場。音をここに集めてみよう、それで実際に音色がすっかり変わる不思議。楽しかったなあ。

イメージを共有するのも、好きなことを好きというのも、無防備な自分をさらけ出すという意味では同じ。とても勇気がいるけれど、これができる人生は楽しい。それが許される人間関係を築いていきたい。


実はそういう言葉のほうが人の心に響くのかもしれない。心を動かされたと感じる作品の中には、いつも誰かのむきだしの感情や熱がある。自分もこのブログをそういう場にしていきたい。まあ育児ブログなんだけれど、ただのハウツーに終始せず、人格が感じられるものにしたい。元気にしてるかな、とちょっと気になってしまうような。


だれしも子供の頃はありのままの言葉を口にしていたのに、両親、先生、友人に「そうじゃない、こうだ」と明に暗に修正をかけられて、社会向けの服を着た言葉を発するようになってしまう。それはそれで大事だけれど、自分だけはその声を聞き続けていたい。

子どもが話せるようになったら、彼の世界を正面から受け止めていきたい。大変だろうけど、楽しみだなあ。



以上、アルフォートのブルーピリオドコラボに触発されて思ったことでした。私の大好きな作品の世界観そのもので、めちゃめちゃいいです。明日はアルフォート食べるかあ。


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