私という議員秘書は単なるパシリだった?
大学卒業後すぐに、国会議員の私設秘書となりました。
退職してから既に10年以上たっていますが、放置していたことに今回向き合ってみました。
驚かれることが多いのですが、
周りが思うよりも、
自分の仕事に誇りをもっていませんでした。
仕事内容は一言でいえばパシリだよ〜、
なんて言っていたほど。
でも、最近私の秘書時代の話をする機会が増えたので、
この際、じゃあ「パシリに過ぎなかったのか、その程度でしかやっていなかったのか」をちょっと考えてみようと思いました。
大学卒業後、当時のボスの国会事務所の新人としてはいりました。
同期はおらず(しいていえば、同じフロアにいる他の議員秘書である同年代の人なんかがそれにあたるかな)、
上司となる人は公設秘書(国からお給料をもらう)や
私設秘書(ボスの事務所からお給料をもらう)が数人。
場所は国会議事堂の裏の議員会館(各国会議員の事務所が集まった建物)にある事務所でした。
事務所以外の人が出たり入ったりするし、
派閥や同じ選挙区の秘書さんとの横のつながりもできてくるので、毎日たくさんの方とは会っていました。
でもルールも右も左もわからない世界。
自分の一言がボスの命取りになるなんてこともあるし、毎日が必死の学びでした。
事務所に採用された立場なので、
昇格基準は事務所の状況次第。
上を目指そうと思って目指せるものでもありません。
比較対象もいるようでいないし、
果たして私がどんな立ち位置なのかも見極められず、
そういう意味で、気持ちは最後まで定まりませんでした。
地方の地元選挙区にいる秘書も多かったので、
やっぱり「男が上」なことが多くモヤモヤもたくさんしたし、
私設秘書の待遇も、最初の数年は考えたらひどいものでした。
(今は経験をかっているんだ!)
なんて自分を納得させていたけれど、
秘書友達が、
もっと政務に踏み込んだ仕事をしていたり、
公設秘書になって一気にお給料があがったなんてことを聞いて、
心をザワザワさせていたというのが、
当時の本音。
なので、私は自分の仕事を
「私でなくても誰でもできること」と思っていました。
ボスや上司や事務所に出入りする方にかわいがっていただくことが多かったので、マスコット的になっているのかもとも少し思っていました。
どうせ、パシリだから。
謙遜でもなんでもなく、本気でそう思っていたんです。
でも改めて今、
当時何をしていたかを出してみると、
ボスのスケジュール管理
来客対応
飛行機や新幹線の手配
官公庁、企業とのお付き合い
パーティー主催
後援会
選挙
派閥(秘書会、党首選や補欠選挙の手伝い、パーティーなど)
県選出議員の秘書会
ざっと思い出しただけで、こんな感じです。
他にもいろんな記憶がちらほらよみがえってもきます。
不器用ながらも、全力でやっていた記憶も出てきました。
ボスは後に大臣や副大臣もさせていただいまので、その仕事も加わります。
大使館と共に海を越えての仕事もありました。
と考えると、
うん。
そっか。
いろいろやってきたんだな。
やってきたんだよ。
さらに
ルーティンワークが苦手な私にはピッタリな職場だったんだな、と。
ボスがお仲間とモツ鍋をする際に、
いやってほどの量のニラとニンニクをひたすら切って、えんえんとモツを茹でこぼしたりした時は秘書の仕事って幅が広すぎ…なんてクラクラしたりもしたけれど。
けれど、
たくさんの人と知り合えたし、
吸収もさせていただいた。
たくさん恥もかいたけれど、
知らなかった世界を学ぶことが多かった。
「日本」をリアルに感じていた。
パシリじゃない。
結婚が決まったことを報告したらボスに
「おめでとう。今までありがとうね」と言われ、
やっぱり地方では結婚したら女性側は仕事を辞めるものなんだ、私は退職しなければいけないんだと、
そもそもやっぱりパシリしかできていなかったんだなと落ち込んだけれど、
夫の実家の仕事を知っていたボスなので、
地方に引っ越すんだろうなと思ってのことだったと今ではそう思える(それはそれで突っ込みたくもあるのだけど)。
盛大な送別会を企画してくれたのも、
人を集めてくれたのも、
忘れられない言葉をくれたのも、
ボスだった。
結婚して、地方に引っ越してキャリアなんてどうでもいいような感じになっていたけれど、
たくさんの人に支えてもらえながら、
秘書の仕事もちゃんとしてきたんだ、
そして議員秘書がという仕事が好きだったんだ。
秘書時代は私にはなくてはならないベースともなる経験だったんだ。
今やっと思えました。
あー、なんだろう。
清々しい。
嬉しいです。
自己満足にすぎないのかもだけど、
それでいい。
退職して10年以上たっても後援会のおじさまおばさまとの交流もあるし、
当時の上司や秘書仲間とも今も仲良くしてもらっている。
引退したボスにもすぐに連絡をとれる。
そんなご縁もとてもありがたいこと。
できなかったことや、
なくしたものにばかり目を向けるものでなく
(そもそも記憶ってあてにはならない)、
その逆のものに照準をあててみることを
意識していこう。
もうパシリという言葉は封印です。