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不登校の親がまず自己信頼を取り戻していくサポートが必要だと思う。

子どもが学校に行かないことで親が自分を信頼できなくなってしまう場合は多いんじゃないかなと思う。

これまでの子育てや
登校しなくなった時の子どもへの関わりで

自分の言動や関わりに自信が無くなる。

それが

安心して子どもと話しをすること
自分を表現すること
今の子どもを理解すること
今に合ったサポートを試行錯誤していくこと

これらを難しくさせているなと自分ごとで感じている。

そして関係性や日常が硬直化していく。

また自己抑圧や自責になりやすく、子どもの前で一人の人間として安心して表現したり、居ることが難しかったなと思う。

私の場合は子どもが不登校になる以前から自己信頼が足りていなかったんだなと自分の怖れや痛みをみていく講座やワークをしていく中で痛感している。


不登校で親の私が自己信頼できなくなっていた

子どもが不登校になったことで、自己信頼の無さががどんどん拡大してしまった。

自分がどれだけ長い間自分を信頼できず、不安定でだったかを感じている。

神経も過敏だったし、外の評価をより気にするようになっていた。

自分が何かダメだから息子たちが学校に行けないのではないか?という疑念がずっと心の奥に在って、言動がぶれたり、不登校の子どもにとって良い親になろうとして自分を抑圧していた。

でも抑圧するから突然感情が暴発するということが起きていたなと思う。

そんな自分をまた責めて、自己抑圧を強化して、怒らず、安心できる家をつくろうと躍起になっていて、それが良いことだと信じてきた。

でもそれは偽りだったなと思う。
何より私が私で居なかった。

それが自分にとって良くないばかりか、息子たちにも自分ではなく、正しいものに合わせたり、自己抑圧や自己改善することが良いことだというメッセージになってしまったかもしれないと感じている。


自分は何を大切にしたいのか。
何を願うのか。
どんな風にやっていきたいのか。

ここに向き合うには「自分で在っていい」がとても大事だと思う。

それが難しかったんではないかなと感じている。

それには私が私でいいんだを実感していく必要が在ったなと思う。
それが反対の方に向かってしまっていたなと思う。

だから我が家は明るい不登校だったけれど、息子たちは葛藤や悩みを打ち明けづらかったと思う。

わたし自身も怖いや不安が在っていい、それは息子たちの幸せや健康を願っているからなんだと理解し、その自分を信頼できていたら、息子たちは息子たちで自分の怖れや不安が在っていいと思えるんじゃないかなと今は思う。

親子で怖れや不安を隠してきたんだ。

ありのままの自分や気持ちを受容することができて、初めて自分はどうしたいのかに向き合える。

私は私で居る。
息子たちも自分で居る。

これがすごく大事だったんじゃないかなと思うようになった。

だから子どもの不登校で親が自信が無くなっている場合は親がまず自己信頼を取り戻せるようなサポートが必要だと思う。

それには自分の中に在るたくさんの気持ちを共感的に聴いてもらって、自分にとって何が大切なのか、何を願っているのかにつながることがとても大事だと思う。

それが明確になって、正しさではなく、親が私の価値観や感情、ニーズを自分のこととして境界線を引いて表現できること。

そして、子どもにもそれぞれ感情やニーズが在って、それが大事だと関わっていくこと。

子どもが安心して自分に向き合う時間と空間、体験、感じることを支えられるように。

私は自分の感情やニーズを理解し、受容し、自立した親で子どもの前に立っていること。

そこで子どもが自分につながり、

大切にしたいこと
叶えたいこと
やり方
ペース

これらを感じ取っていくことを支えることができるんだと思う。

息子たちが自分と安心して向き合うことを支えることが大切なんだとNVCの感情とニーズを聴く対話を続けてきて感じている。

彼らのペースではあるけれど、どんどん向き合って、それが言葉になったり、葛藤を語りに来るようになった。

自分なりの挑戦も増えた。

そこで彼らがどれだけ一人で葛藤に向き合ってきたかを痛感している。

一人では叶えられないこと、選択が難しいことがたくさん在ったと思う。
子どもだからリソースも経験も少ない。

そこに大人の力が必要になる。

私が自分の願いを正しさとして押しつけたり、何でもいいよと言いながらも自分の願いを隠していた時は言い出しにくかったよなと思う。

自分の願いや怖れを表現したら否定されたり、変えようとする。
または怖れや不安を私が自分ごととして受け止められないと感じていたんじゃないかなと思う。

親が自分を理解し、受容し、どんな自分でも、どんな感情が在っても大丈夫だと自分を信頼できていないと、安心して子どもに向き合える状態にならない。

あっという間に怖れや不安、焦りが思考を支配し、押しつけたくなったり、聞き出して評価や否定や強制したくなったり、分離しててしまう。

その状態をいかに脱するかがカギだと思う。

でもそこで親も一人では抱えきれない感情が在る。

だからこそ安心して評価や否定、アドバイスではなく、親が自分の感情と感情が教えてくれているニーズ(大切にしたいこと、満たしたいこと、願い、必要としていること)を感じ取り、自分とつながれる、信頼できる状態になるようにサポートする場がとても必要だと思う。


そこで自分が自分の中に湧き上がる思考や感情に気づき、自分でホールドできる状態になっていくこと。

またその場で感情的になって、ぶつけてしまっても、落ち着いた時に自分の中で起きた怖れや不安、焦りは自分の感情とニーズで子どもが責任を取ることじゃなくて、私のことだったと境界線を引き、謝罪できることがとても大事だと思う。

『GOOD INSIDE 子どもにとってよい子育て』の著者であるベッキー・ケネディ さんは子どもとの対立の後に「修復」することが大事だと著書の中で説明している。

下記のTEDでもその理由が詳しく説明されているので是非見て欲しい。


子どもの頃の親や大人の関わりから子どもは自分がダメなんだのように自分を信頼することが難しくなってしまう。

私の元々の自己信頼の低さもここから来ていたんだなと思う。

不登校の子どもも学校で起きたことやそれまでの体験で自己信頼が減っていたり、自分がダメだからだのような自分のせいにしている場合は多いと感じる。

そこで子どもの思考だけで、考える時間を長くしないほうがいいと最近私は強く思っている。

子どもの脳ではまだ全体や周りの人たちの状況や言動の背景まで理解することが難しい。

そこで親が子ども達が信じ込んでしまったことを理解し、それだけ衝撃や痛みや傷が在ったことに共感して、受容していくことで、子どもが安心して自分を信頼し、向き合うことができるようになると思う。


不登校の子どもも自己信頼が減っていて、まず自分を信頼できるように関わることが大事だと思う。

親が自己信頼できなくなっているのと同じで、不登校の子どもも自己信頼がへっている状態だと思う。

学校で起きたこと、今までの成長の中で親や先生、他の大人、友達の反応や関わりから、自分を信頼できなくなっている場合が多いんだと思う。

これは不登校に限らず、今までの教育や子育て、人との関わり方が誰かにとって都合が良いことや期待していることを正しさとして押しつけ、それができないと

劣等感

罪悪感

これらのしんどい感情を感じるように訓練されてきたからだと思う。

私は自分を見るワークや講座に参加して、本来の自分に対してたくさんのダメを抱えてきたんだなと感じてきた。

その体験が在り、それが評価や脅し、罰、報酬、などで作られていたなと思う。

また子ども同士のトラブルも劣等感、恥、罪悪感が刺激されていたり、大人から受けた痛みをぶつけ合ったものの場合も多いんだと感じる。

大人のトラブルや生きづらさも同じだと思う。

私たちがどれだけ正しさや良いことで縛られているか。
それができないと自己否定、他者否定をしているか。

怖れと痛みから反応して、怖れや痛みを創り出しているのかを感じている。


不登校の親が冷静でない、警戒モードになるのは当然のことだと思う

子どもが学校に行かない。

それは親にとってとても怖いことだと思う。
(私は随分長いこと、怖いことだということも禁じていた。)

そもそも未知の体験でどうしたら良いのかわからない。
怖れや不安や焦りを感じやすい状況にある。

また子どもが傷ついていたり、弱っていたり、自分を責めているのを日々目の当たりにする状況は胸をえぐられるような気持ちになる。

それを何ともしてあげられないことで
無力感や自分の足りなさを感じやすい。

そんな状況で冷静に考えることは本当に難しいよ。

また子どもの状態から自分の中に在るたくさんの気持ちは抑圧するしかない。

感情抑圧は心身に大きな影響を与えるから動けなくなったり、気力がなくなるのは当然だ。

本当にまず親がサポートしてもらうことが重要で、緊急だなと思っている。

そしてココにも正しさや良いことが影を落としている。

不登校の親がどうあるべきか。

いろいろな場で声高に叫ばれ、それができない自分を責めたり、自分を抑圧したり、自分を脅して良いことをしなければいけないとプレッシャーをかけている。

だから自分の中に在ること、怖れや痛み、不快、不安などを明かせなくなってしまう。

それが人とのつながりやサポートを受けることを難しくしてしまう。

それがよりサバイバルモード、不安定、過緊張などを引き起こし、子どもの前で落ち着いた状態で居ることが難しくなってしまう。

自分で在っていい。
これを感じるには安心して共感的に聴いてもらうことが本当に大事だ。

そこにつながれなくなって、孤立してしまうことが本当に危険なんだと自分ごとで痛感している。

私はまだ睡眠障害が在るし、過緊張で身体に力が入ったまま抜けない。

またパニック障害が酷くなっていた。

共感的に聴いてもらって、自分がどれだけ怖かったかを共感して、受容してもらって、今少しずつ自分で自分の怖れや痛みを受け止めて、共感できるようになってきた。

ここ最近電車に乗る挑戦をして、怖れを感じていいと許可して感じているとふと乗りたいが湧く瞬間が在り、電車に乗って大丈夫だったを体験している。


不登校の親はサポートを受けることが難しい場合が多いなと思う。

不登校の子どもたちと同じで不登校の親がサポートを受けることがとても難しいなと感じていることについてもう少し書きたい。

ここが本当に大事だと自分ごとで感じているから。

安心して、自分の感情を感じていいと言ってもらったり、共感的に聴いてもらう場やサポートが少ないことも問題だと思っている。

感情を抑圧したり、軽く扱って、どうしたら良いのかを考え、改善していくことが良いことだと思わされてきた。

でも感情を抑圧したり、軽く扱うことで、感情暴発が起きたり、心身を傷つけ、健康を害してしまうことがわかってきている。

即座に解決や改善することは一時的には良いことのように見えても、持続可能ではない。

自分の中に在るブロックを理解し、受容することも必要

必要なサポートが足りていないからといって、そのまま仕方ないと諦めるわけにはいかないなと思う。

大切な自分と子どもの健康や幸せがかかっているから。

自己信頼が著しく減っている分だけ、他者への信頼も減ってしまう。

そこを理解し、どれだけ怖いのかを理解し、共感し、受容していくこと。

そして今在るサポートや場を活かしていくことがとても大事だと思う。

そこで感じる痛みや悲しさ、憤り、違和感を自分の中で、感じ、本当は何が必要なのか。大切にしたいのか、満たしたいのか、願っているのかを感じ取り、受容していくことができる。

また同じ痛みや悩みを抱える人とネットや地域の場でつながって、聞き合うことができる。

自分を信頼する力が減っている時は自分が責められるとか、ダメだと感じやすい。

相談に行くことで自己抑圧や自責につながりやすいなと感じている。

子どもにとって何が良いことかを教えられることで、自分の中に在ることを自己理解、自己共感、自己受容することが難しい。

それが安心して自分で子ども達の前に居ることを難しくしてしまう。

自分を理解し、どうしたいのかを問い直すことをサポートすることがとても大事だと思う。

私は

自分が何を大切にしたいと思ってきたのか。
それは元々の自分が持っていた価値観や考えなのか。
本当はどうしたいのか。

これを安心の中で、じっくり問い直していくことがとても大事だと思う。

それを安心の中で支えるサポートが在るといいなと思っている。

私は本や講座での学びや、コミニティや講座で共感的に聴いてもらっていく中でたくさんの気づきが在り、自分を理解してくことが自己信頼を回復するのにとても力になるんだと感じてきた。

じっくり今の感情や思考を聞いてもらって、自分が信じてきた価値観やべきなどと自分が本当に願っていることを見直していくこと。

正しさを教えられるのではなく、自分に問うて、感じていく時間がとても力になった。

一人一人価値観や願いは違う。

自分で在っていいを感じていくと、子どももその子自身で在っていいを感じることがどれだけ大事かを感じられる。

それを理解し、腑に落ちるにはまずたくさんの気持ちが在っていい、それを吐き出すこと、自分で共感し、受容することが大事なんだとわかっている人が信頼関係を築きながら、その人のペースで気持ちを吐き出せるように共感的に聴いていくことが必要だと思う。

息子たちに何が力になるのか何年もの間、たくさんの本を読み漁ってきた。

大事だと思う本に引用されている本を読みながら、いろんな分野に拡がっていった。

トラウマ、脳、レジリエンス、オープンダイアローグ、NVC、傾聴や聴くこと、心理的安全性、問い、ハラスメント…いろいろな分野の本を読む中で今までの社会は感情を蔑ろにするような教育や価値観を散々教えてきたんだなと思う。

感情が伝えているメッセージを受け取らないと、自分のことが理解できない。

本当にどうしたいのか
何を大切にしたいのか
何を願っているのか
どんな風に生きたいのか

一人一人の内面に在るものを感じて、受け取らないとわからない。

それより誰かや社会にとって良いこと、正しいことをするのだと教えられ、何が正しいのか、評価されるのかに思考が向かいやすい。

それを自分に課して、どんなに嫌でも自分を脅して、できないと自分を責める。

そんなことが多いなと思う。

だから親がまず自分を取り戻すことが子どもの力になると思う。

そんな場やサポートが増えたらいいなと思うし、それを自分にしてあげることができると知ってもらえたらいいなと思う。

NVCはその力になる一つだと感じている。

NVCを学ぶ講座もいくつも開催されているし、本も出ている。

『「わかりあえない」を越える――目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』


『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法 新版』

NVC Japanのウェブページ

人間は感情を抑圧したり、無かったことにはできない。

一時的に良いように見えても、結果的に暴発したり、関係性を難しくしてしまう。

そこをすっ飛ばさず、感じて、受容してから、やっと自分に向き合えるし、そこから主体的にどうしたいという力が湧いてくるんだと思う。

感情を蔑ろにするように教えられたり、押しつけられてきた痛みから即座に解決や改善することが良いことだと必死にやってきた。

そこから反応して、人に正しさとして押しつけてしまうことが起きやすい。

そこで反応する自分や他人を責めたり、正しさを押しつけるとまた同じことが起きてしまう。

在ることを無かったことにせず、そんな自分や相手に共感することができるし、そこでつながれる。

共感とは何かはこちらの動画が参考になるので良かったらみてください。

またNVCについてはYouTubeチャンネル『井上一樹のゼミチャンネル』でいくつか取り上げられているので、ぜひ見て欲しい。

『ハラスメントは連鎖する』についての解説シリーズもとても学びが多いので、是非観てみてください。