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2025.01.01 「世界はひとつになれない」

いつまで続くかわからないけれど、日記的記録を始めてみる。(写真は1981年の実家前のもの。意味は無し)

2025年1月1日
午後からスタバに行く。元旦だから空いてるかなと思ったものの、然程空いていなかった。
下北沢を歩いてみての印象は、年越しを日本でした外国人が多くいたのだろうということだった。
ミスドも15時までで、マツキヨも休み。
普段食べないバーガーキングが空いてたので寄ってみる。店員さんも外国人。Uberの受け取りに手間取ってるのも外国人。その外国人同士が「おまえ、日本語分かるのか??」と喧嘩腰でやり取りしている。日本語しか話せない私が助けに入る方が混乱を招くような気がして、様子を見るしかなかったけれど、粘り強くやり取りして収束していた。

今日はひょんな理由で自分のプロフィールを作成したのだが、確かに毎年リニューアルされるものでもあり、仕事内容をカテゴリ別に整理してみたらなかなか面白かった。
少し前にアソビジのnoteで「これまでの仕事のこと」を書いたのが良かったように思う。

大晦日は、紅白に少し興味はあったものの全く観ずに年越し。
しかし、星野源がどーだ、B'zがどーだ、とTwitterじゃないや Xや、Facebookで流れてきて、結局動画からオールナイトニッポンまで聴いてしまった。

正直、最近はめっきり「音楽」を聴かなくなってしまっていて、星野源も積極的には聴いてなかった。
なので、「意義」を求めて「ばらばら」を聴いて、ははーん。と考えた。
「これは、うん。そうだね。」
と思う歌だった。

紅白の彼のパフォーマンスについて、色んな人が色んなことを言ってる。
それもこれもひっくるめて、私には、NHKへの怒りなどではなく、真っ直ぐ「私たち」に向けて歌っていたよな、と感じた。とだけメモとして残しておく。
ラジオでの彼の嗚咽も、人間らしくて、なんだか分からないけれど、「ありがとう」と思えた。

多様性とか包摂性とか、公平であることとか、ほんとに難しくてさ、それでも「誰かを排除しない世界」は目指したくて、「それぞれが居心地のよい世界」は人の数だけある、ってことも理解したくて、だけど難しくて。
そんなことをここ数年ずっとずっと感じてる中、
「世界はひとつじゃない」「世界はひとつになれない」
と言ってくれてありがとう。と、そんな風に思う私がいた。
私が言っても伝わらないだろう言葉を使って、アーティストが「歌」にのせて伝えるインパクトは、なかなかのものでした。

今年も、諦めずに進もう。

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