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これからの私 ~『君たちはどう生きるか』を観て~


 The convention of perspective, which is unique to European art and which was first established in the early Renaissance, centers everything on the eye of the beholder. It is like a beam from lighthouse - only instead light travelling outwards, appearances travel in. The conventions called those appearances "reality". Perspective makes the single eye in center of the visible world. Everything converges on to the eye as to the vanishing point of infinity.

- "Ways of Seeing" John Berger. 1977

 ールネッサンス初期に確立されて以後、西洋絵画独特である遠近法に関して言われている事は、その人の目にすべてが集中するという事である。まるで灯台が放つ光線のよう。ー外枠をなぞる明かり以外は、見えるものは入り込んでくる。いわゆる『現実』というものたちだ。遠近法は、片目を、目に見える世界の中心に変える。無限大に消失点が出来るように、全ては目に集約される。



 宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』を観た感想を今更だが記しておこうと思う。しばしば耳にする評判を頼りに、私なりに心して ーある種の覚悟のようなものを決めー 足を運んだ。なぜなら、いつも以上に、何かしらの並々ならぬ宮崎監督の意欲やメッセージ性を感じてならなかったから・・・。

 そう、これは、2013年の『風立ちぬ』で、一回引退を決意した監督が再びメガホンをとってまで作製した作品である。一度は絶筆に至った人が、再度復帰する・・・まるで「このまま”隠居”など、ましてや死ねなどしない、言いたいこと伝えたいこと絵にしたいことは、まだまだ山ほどある」とでも言いたいような、アニメ作家として、映画にしなければならないという、突き動かされる使命感のようなものを感じた。なるほど復帰は、遡ってみれば2016年に決心したらしい。結果、作品は2023年公開となったわけなのだから、実に7年もの長い歳月がそこにかけられている。突発的な安直な思いでできた作品ではない事は、そこからも容易に想像できる。これは観る側も、それ相応の心の準備が必要であるはず・・・

 と、いうわけで、勇んで向かったところ・・・本当に、裏切らない、情熱溢れこぼれる力作だったと思う。


 まず、映像美。私は、ジブリ作品を劇場で最後に観たのは、2010年の『仮ぐらしのアリエッティ』だったが、それでもとても美しい風景が続く精細な作品だったのに、今回は更に進化していたと思う。この監督の意欲は、技術は、きっと、死ぬ間際まで、一生成長し続けるものなのかもしれない。本当に感動する。


さて、ストーリーは、監督の記憶のような場面から始まる。子供の頃の思い出、そして、夢想したであろう世界のようなシーンが続く・・・。それらは、決して綺麗なものではなく、汚いような、ずるいよう現実も多い。人間の業というか、人間臭さというか、そういった負の過去に改めて向き合うかのようだ。それから、経験してきたり、影響を受けてきた絵画や映画の世界観、場面と思われるようなシーンが次から次へと矢継ぎ早に展開してゆく。まるで、監督の脳裏をよぎってやむことのない記憶が溢れこぼれ出て、その断片断片を視覚化して繋ぎ合わせ、映画の世界へ解き放っているかのようだ。

 その結果、そこには深いメッセージが発生することに。「自分はこういうものを見て、聞いて、考えてきた。君たちはどう生きるか?」という、今まさに発信しなければという切なる想い。2016年に構想が始まり、2023年にリリースなわけだが、奇しくも、コロナや戦争や、様々な多角的な社会情勢問題が予期せず発生した今だからこそ、より響くものとなっている。7年の構想期間という時を経て、まるで予言のように、今この時代にマッチしたのだから運命的なものを感じる。

 なんだか監督の集大成のような作品を目にしている気分になってくる。そういうわけで、ずっと胸が詰まる思いで泣きそうになりながら観ていたのだが、監督が求めているのはきっとそういう涙ではないのだろうというのは想像がつく。それより、泣く暇があったら、すべきこと、できることを考え、行動に移す。まさに、「君たちはどう生きるか」なのだ。


 監督は、考えるべきことを考え、映画という媒体を通し、私たちに共有を求める。自分ひとりでは生きられない、自分ひとりでは目指せない夢・・・映画を通して、作る輪、引き渡すバトン・・・それは、主題歌の『地球儀』にヒントがあるようだ。

「ー飽き足らず、思いはせる、飽き足らず、思い描いてゆく、地球儀をまわすようにー」

そう、地球で生きること、地球を守ること。

 ひとりひとりにも、何か出来ることはあるのではないだろうか?監督に復帰を決めさせたこの時代、この映画を観た私たちに、今、バトンは渡されたのだ。



 

The death drive splits the very ego into one component that is unaware of such drive while being affected by it (that is, its unconscious component) and another component that struggles against it (that is, the megalomaniac ego that negates castration and death and fantasies immortality.)

-Julia Kristeva "Black Sun" 1989,

 ー死への衝動は、実に、自我を二つに裂く。一つの要素は、そのような衝動に影響を受けつつも気づかない。(いわゆる無意識と呼ばれる要素だ。)もう一つの要素は、そのような衝動に抵抗して戦う。(消滅や死への抵抗、それから、不滅への幻想などといった誇大妄想のように。)

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